皆さま、こんにちは。12月のメッセージを担当させていただきます、藤木瞳と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
早いもので、2009年も最後の月・12月を迎えることとなりました。寒さも本格的になり、外の空気は鼻にツーンと突き刺すような冷たさです。皆さま、風邪などひいていませんでしょうか。
2009年最後の月を迎えるにあたって、私が今年1年を振り返って感じたことをお話させていただきたいと思います。「感じたこと」と一口に言えば本当にたくさんになってしまいますが、今日は私が去年から始めた「一人暮らし」を経験して感じた事をテーマに決めて、メッセージを書いていこうと思います。
もともと7人という大所帯で実家暮らしをしていた私にとって、一人暮らしでは何もかもが新鮮で、そして未体験のことの連続でした。
食事の用意や洗濯、掃除、ゴミ捨て、お金の管理や支払い・・・。家事は嫌いではなかったし、一人暮らしを始める前に当然の如く頭の中で予測していたことですが、いざそれを遂行するとなると、なかなかスムーズにいかないことが多々ありました。以前は7人で暮らしていたのですから、作る食事や洗濯物、ゴミの量は今とは比べ物になりません。はるかに少ない量のはずなのです。それなのに・・・
すべてを自分がやるとなると、全く違った大変さがそこにはありました。
今までは、何かを放っておいたら誰かがそれを見つけて運んでくれたり、余裕のある人が、忙しい人の仕事を手伝ったり。言葉でお願いをしなくても誰かが気づいて動いてくれる、そんな「目に見えない働き」のようなものに頼っていたのだと思います。
ですが、一人暮らしではそうはいきません。自分が「まぁいいや、後でやろうっと」と思って放っておいたものは、自分が動かないかぎりずっと残ってしまいます。
そしてそれは、自分の気持ちについても同じでした。今までは、落ち込んで家に帰ってきたとしても、家族に愚痴をこぼして気持ちを落ち着かせていました。けれど、その「気持ちの後片付け」も自分でしなくてはいけなかったのです。そんな「当たり前の事実」を今まで感じずに過ごしてきたんだなぁと気づいた時、恥ずかしい気持ちと共に、一緒に暮らしてきた家族へのありがたさをじわじわと感じはじめました。
「離れたからこそ見えたもの」にたくさん出会うことができ、私の一人暮らし生活は本当に充実したものとなりました。ですが、きっと、一人暮らしをしなければ気付けなかった事なのだと思います。離れないと大切さを実感できない、なんて勿体なくて少し寂しい気もしますが、「離れる」ということは、何かと自分について考える時、ときに大きな役割を果たすのではないでしょうか。
たとえば、目を近づけて何か物をじ~っと見てみると。その物のある一点だけが、視界に入ってくると思います。自分とその『物』との距離が近いと、その一点の細かいところはよく見えるかもしれませんが、その物は一体どんな形をしているのか、どのくらいの大きさなのか、他にどんな特徴があるのか、隣にあるものとどう違うのか、など、全体像が見えにくくなると思います。
一方、少し目から離してその物を見てみると、今度はさっきと違った情報がたくさん入ってくると思います。あんな特徴があったんだとか、これはこんな形をしていたんだとか、こんな場所にあったんだとか・・・。
その物全体のバランスが見えてくるのではないでしょうか。
※井の頭公園のあひるです
これは、人や、何かの場所を当てはめても考えられると思います。私は今まで長らく家族と暮らしていて、人にしても場所にしても、ずっと同じ一点を見つめていたのだと思います。ですが、離れてから家族や家を思い浮かべると、また違った部分が取り入れられ、今まで見ていなかった良いところを発見することができました。(実はスーパーが近くに沢山あって買い物にも便利だし、駅までの道は木や花が沢山あって良い景色だったよな・・・など)
特に家族については、長年同居していたのですから当然わかった気になっていましたが、実はけっこう偏った見方をしていたのだと気付かされました。
皆さんも、職場や学校、家などで何だか動きづらいな・・・と思った時は、少しそれを遠くから眺めるようなイメージをしてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、新しい発見があるのかもしれません。
早いもので、2009年も最後の月・12月を迎えることとなりました。寒さも本格的になり、外の空気は鼻にツーンと突き刺すような冷たさです。皆さま、風邪などひいていませんでしょうか。
2009年最後の月を迎えるにあたって、私が今年1年を振り返って感じたことをお話させていただきたいと思います。「感じたこと」と一口に言えば本当にたくさんになってしまいますが、今日は私が去年から始めた「一人暮らし」を経験して感じた事をテーマに決めて、メッセージを書いていこうと思います。
もともと7人という大所帯で実家暮らしをしていた私にとって、一人暮らしでは何もかもが新鮮で、そして未体験のことの連続でした。
食事の用意や洗濯、掃除、ゴミ捨て、お金の管理や支払い・・・。家事は嫌いではなかったし、一人暮らしを始める前に当然の如く頭の中で予測していたことですが、いざそれを遂行するとなると、なかなかスムーズにいかないことが多々ありました。以前は7人で暮らしていたのですから、作る食事や洗濯物、ゴミの量は今とは比べ物になりません。はるかに少ない量のはずなのです。それなのに・・・
すべてを自分がやるとなると、全く違った大変さがそこにはありました。
今までは、何かを放っておいたら誰かがそれを見つけて運んでくれたり、余裕のある人が、忙しい人の仕事を手伝ったり。言葉でお願いをしなくても誰かが気づいて動いてくれる、そんな「目に見えない働き」のようなものに頼っていたのだと思います。
ですが、一人暮らしではそうはいきません。自分が「まぁいいや、後でやろうっと」と思って放っておいたものは、自分が動かないかぎりずっと残ってしまいます。
そしてそれは、自分の気持ちについても同じでした。今までは、落ち込んで家に帰ってきたとしても、家族に愚痴をこぼして気持ちを落ち着かせていました。けれど、その「気持ちの後片付け」も自分でしなくてはいけなかったのです。そんな「当たり前の事実」を今まで感じずに過ごしてきたんだなぁと気づいた時、恥ずかしい気持ちと共に、一緒に暮らしてきた家族へのありがたさをじわじわと感じはじめました。
たとえば、目を近づけて何か物をじ~っと見てみると。その物のある一点だけが、視界に入ってくると思います。自分とその『物』との距離が近いと、その一点の細かいところはよく見えるかもしれませんが、その物は一体どんな形をしているのか、どのくらいの大きさなのか、他にどんな特徴があるのか、隣にあるものとどう違うのか、など、全体像が見えにくくなると思います。
※井の頭公園のあひるです
これは、人や、何かの場所を当てはめても考えられると思います。私は今まで長らく家族と暮らしていて、人にしても場所にしても、ずっと同じ一点を見つめていたのだと思います。ですが、離れてから家族や家を思い浮かべると、また違った部分が取り入れられ、今まで見ていなかった良いところを発見することができました。(実はスーパーが近くに沢山あって買い物にも便利だし、駅までの道は木や花が沢山あって良い景色だったよな・・・など)
特に家族については、長年同居していたのですから当然わかった気になっていましたが、実はけっこう偏った見方をしていたのだと気付かされました。
皆さんも、職場や学校、家などで何だか動きづらいな・・・と思った時は、少しそれを遠くから眺めるようなイメージをしてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、新しい発見があるのかもしれません。
こんにちは、11月のメッセージを担当させて頂きます、インテーカーの行田太樹です。
台風がありましたが、最近は過ごしやすい陽気がとても気持ちいですね。皆さんいかがお過ごしですか?
さて、何について書こうかなと、考えていたのですが、なかなか思いつかず…。そんな中でも今回は、『きっかけ』について私が思っていることをお話ししたいと思います。
最近は、次第に、秋も深まってきました(もう朝夕は寒いくらいですが)。秋という季節は、「読書の秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」などと言われるように、何をするにも過ごしやすい季節なのではないかな、と思います。
そんな季節に触発されてか、私は最近、日本文学を読むようになりました。私は、学生時代、日本文学を読むことというのは全く無く、教科書に載っている文章を、授業だから仕方なく読んでいた、という程度でした。しかし、最近は、その物語に登場してくる人物の心情、作者が伝えたいことは何なのかなどに、思いを巡らせながら、ページをめくっていくことに楽しみを覚え、電車の中で読書をすることがマイブームになりつつあります。「学生時代、あれほど楽しみを見出せなかった自分が、まさか読書に楽しみを覚えるなんて!」といった気持ちです。
なぜ、私が読書に目覚めたのかというと、ある心理学の専門書に、「文学を読むといい」といった内容が書いてあったからです。そうです、私は影響されやすいのです(笑)そういえば、幼少の頃から続けているバスケットを始めたきっかけも、井上雄彦先生原作の、アニメ「スラムダンク」を見て影響されたからでした。
その道の超一流の方たちが、その道を志したきっかけは、何だったのでしょうか?先に述べた「読書の秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」に関連する方たちについての、雑学的なお話です。
人気小説家の村上春樹先生は、ヤクルトスワローズの大ファンのようで、そんな村上春樹先生は、ヤクルトスワローズのデイゲームの試合を見ていて、小説を書こうと思い立ったそうです。
料理愛好家として、テレビでも活躍している平野レミ先生が、料理を好きになったきっかけは、料理が上手だった母親の影響があるそうです。
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして、活躍した、野茂秀雄選手は、幼稚園年中組の頃に、肥満防止と親子のスキンシップのため、お父さんに誘われてキャッチボールをしたのが、野球を始めたきっかけになっているそうです。
その道で超一流の先生方も、その道を志したきっかけというものは、案外、平凡だったり、突然の思いつきだったりするものなのですね。
私は、「小さなきっかけから努力をすれば、いつか実が結ぶ」ということを思った、わけではありません。「何かを始めることに、大それた理由なんていらないのではないか」と思いました。
「何となく」。これだけでも、立派なきっかけだと思います。もちろん、大きな決意から「これをやりたい!」と思うことだって、とても素敵なことですということを付け加えておきますが。
このメッセージをご覧になっている方の中には、「こんなこと、人に話すことでもないのではないだろうか」、「こんなことを悩んでいるのは少し変かな」、「話したことで、どうにかなるものなのだろうか」という風に、思っている方もいるかもしれません。私は、それらは、ご自身が進みたい方向へ進むための“第一歩”を、既に踏み出そうとしているということなのだと思います。
当オフィスのスタッフ一同、皆様の、「きっかけ」、あるいは、「きっかけ」の「きっかけ」になれればと思いながら、お待ちしています。
11月に入り、次第に寒くなってくるだろうと思います。空気が乾燥してきて、インフルエンザも心配です。皆さま、お体には十分にお気をつけくださいね。
台風がありましたが、最近は過ごしやすい陽気がとても気持ちいですね。皆さんいかがお過ごしですか?
最近は、次第に、秋も深まってきました(もう朝夕は寒いくらいですが)。秋という季節は、「読書の秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」などと言われるように、何をするにも過ごしやすい季節なのではないかな、と思います。
そんな季節に触発されてか、私は最近、日本文学を読むようになりました。私は、学生時代、日本文学を読むことというのは全く無く、教科書に載っている文章を、授業だから仕方なく読んでいた、という程度でした。しかし、最近は、その物語に登場してくる人物の心情、作者が伝えたいことは何なのかなどに、思いを巡らせながら、ページをめくっていくことに楽しみを覚え、電車の中で読書をすることがマイブームになりつつあります。「学生時代、あれほど楽しみを見出せなかった自分が、まさか読書に楽しみを覚えるなんて!」といった気持ちです。
なぜ、私が読書に目覚めたのかというと、ある心理学の専門書に、「文学を読むといい」といった内容が書いてあったからです。そうです、私は影響されやすいのです(笑)そういえば、幼少の頃から続けているバスケットを始めたきっかけも、井上雄彦先生原作の、アニメ「スラムダンク」を見て影響されたからでした。
人気小説家の村上春樹先生は、ヤクルトスワローズの大ファンのようで、そんな村上春樹先生は、ヤクルトスワローズのデイゲームの試合を見ていて、小説を書こうと思い立ったそうです。
料理愛好家として、テレビでも活躍している平野レミ先生が、料理を好きになったきっかけは、料理が上手だった母親の影響があるそうです。
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして、活躍した、野茂秀雄選手は、幼稚園年中組の頃に、肥満防止と親子のスキンシップのため、お父さんに誘われてキャッチボールをしたのが、野球を始めたきっかけになっているそうです。
その道で超一流の先生方も、その道を志したきっかけというものは、案外、平凡だったり、突然の思いつきだったりするものなのですね。
私は、「小さなきっかけから努力をすれば、いつか実が結ぶ」ということを思った、わけではありません。「何かを始めることに、大それた理由なんていらないのではないか」と思いました。
「何となく」。これだけでも、立派なきっかけだと思います。もちろん、大きな決意から「これをやりたい!」と思うことだって、とても素敵なことですということを付け加えておきますが。
このメッセージをご覧になっている方の中には、「こんなこと、人に話すことでもないのではないだろうか」、「こんなことを悩んでいるのは少し変かな」、「話したことで、どうにかなるものなのだろうか」という風に、思っている方もいるかもしれません。私は、それらは、ご自身が進みたい方向へ進むための“第一歩”を、既に踏み出そうとしているということなのだと思います。
当オフィスのスタッフ一同、皆様の、「きっかけ」、あるいは、「きっかけ」の「きっかけ」になれればと思いながら、お待ちしています。
11月に入り、次第に寒くなってくるだろうと思います。空気が乾燥してきて、インフルエンザも心配です。皆さま、お体には十分にお気をつけくださいね。
こんにちは。メッセージ・コーナーに初めて載せて頂くことになりました。事務の小野寺といいます。とても過ごしやすい季節になってきましたね。空が高く、清々しい風が吹き、景色も美しく見えます。以下はそんな私の日常の1コマです。
先日、久し振りにお花のアレンジメントのレッスンに行ってきました。普段、自宅でお花をアレンジする時は、プリザーブドフラワーやシルクフラワーなどの造花類で作るばかりなのですが、今回のレッスンで扱ったのは生花です。生花ってやっぱり瑞々しい生命力に溢れていて、触れるとそんなエネルギーが流れ込んでくるよう☆今回は自分の思うように挿せたので、(出来はともかく)完成できてうれしい気持ちでいっぱいになりました。植物の力ってスゴイなー。キレイなものや、かわいいもの・好きなものを身近にすると、心がウキウキするような感じってありませんか?私がお花のレッスンに通い続けているのは、そんな感覚が呼び覚まされるからだと思います。それって単なる気のせい?……でもいいんです。きっと私の心の糧になっているから。レッスンを受けた後、完成したアレンジは自宅に持って帰って、もちろん飾っておきます。ふと完成したアレンジに目が行くと、同じような気持ちが、また湧き上がってくるのです。気がつくとニコニコしていたりして。そんな瞬間があると、ピンと張り詰めていた気持ちがほっこりと、ほどけいくのが分かります。
これからの季節は、ちょっとシックな大人っぽい色合いで、プリザーブドフラワーのアレンジを作ってみたいと思っています。プリザーブドフラワーは特殊な加工を施し、生花の質感を保ったまま、色の美しさと保存性の高さで人気がある素材。水やりなしで長く飾れるのが便利で、オリジナルで作る時は気に入ってよく使っています。長く飾っておけると割安感もあるし。だからプリザーブドは良いこと尽くし!と以前は思っていました。ですが、プリザーブドは生きたお花ではありません。生花を扱っている時の瑞々しい生命力は感じられないのです。この頃になって、枯れて消えていく生花ゆえの魅力を再認識しはじめました。枯れることって哀しいことではないのかもナンテ、ちょっと思ったりしました。今の季節が秋だからこそ、そんな風に感じたのかしら?

秋以降になると、お花のアレンジが長持ちしやすくていいですね。たぶん気温が下がって花瓶の水の雑菌が繁殖しにくくなるからだと思いますが、自宅に置いても、長く楽しめるのです。もし、あまりお花を飾らない方でも、これからの季節に取り入れてみると、お手入れの頻度が減るので楽々!一番お手軽なのは1輪挿しです。その日の気分で好きな花・好きな色を選んでみて下さいね。いつものお部屋が、ちょっぴり違った雰囲気に見えるかもしれません。

先日、久し振りにお花のアレンジメントのレッスンに行ってきました。普段、自宅でお花をアレンジする時は、プリザーブドフラワーやシルクフラワーなどの造花類で作るばかりなのですが、今回のレッスンで扱ったのは生花です。生花ってやっぱり瑞々しい生命力に溢れていて、触れるとそんなエネルギーが流れ込んでくるよう☆今回は自分の思うように挿せたので、(出来はともかく)完成できてうれしい気持ちでいっぱいになりました。植物の力ってスゴイなー。キレイなものや、かわいいもの・好きなものを身近にすると、心がウキウキするような感じってありませんか?私がお花のレッスンに通い続けているのは、そんな感覚が呼び覚まされるからだと思います。それって単なる気のせい?……でもいいんです。きっと私の心の糧になっているから。レッスンを受けた後、完成したアレンジは自宅に持って帰って、もちろん飾っておきます。ふと完成したアレンジに目が行くと、同じような気持ちが、また湧き上がってくるのです。気がつくとニコニコしていたりして。そんな瞬間があると、ピンと張り詰めていた気持ちがほっこりと、ほどけいくのが分かります。


WEB担当の黒田です。
先日、6月に東伊豆で行われたマウンテンバイク(以下MTB)のレースでのお話を。少々長いですがお付き合いくだされば。
参加したのは、ミヤタカップin東伊豆 ビギナークラス。
私は道路を走るロードではそれなりに実績がありますが、今回初参加のMTBレースは野山を走る競技。
同じ自転車ですが勝手が違います。つまり私は初心者なのです。
チームメイトは富士山で行われるレースに参加するため、私は単独行動。
実はこのレースに出るためにMTBを購入したのもあって、仲間と別行動しても参加したいレースだったのです。
幸い数日前に、レース予定の無い仲間が一名応援に来てくれることになり・・・
というわけで、途中で仲間を拾い、会場の伊豆に向けて出発。
天候は、最悪で土砂降り。
高速を降り熱海を過ぎ、ようやく明け方になってきます。無情にも雨は降り続けます。
会場に到着後も、雨。
雨の条件は全員一緒なので仕方ありません。受付などの手続きは、同行してくれた仲間が行ってくれました。ありがたいです。

大雨のため、どうやらコース変更があったとのこと。
とはいえあまり時間もなかったので、レースさながらの走りで試走。
レースと同じ周回コースを2周ほど回ってみました。
やはりコースコンディションは最悪です。
ぬかるみこそ少ないものの、巨大な水たまりや滑る箇所多数。
こけたら終わりなので、丁寧に走る場所と勝負所を見極め、
最後の準備をするために戻ります。
クルマに戻った時、仲間の様子がおかしいことに気が付きました。
ピンと来ました。なんと、キーの閉じ込をしてしまっていたのです。
試走で一部調整が必要なのが判ったマシンを直す工具
最後の補給のエネルギー源
ゼッケンや、タイム計測用のチップ、ユニフォーム
最終的なウォーミングアップ用の機械
などすべてクルマの中。。。。
ピンと来ました。なんと、キーの閉じ込をしてしまっていたのです。
試走で一部調整が必要なのが判ったマシンを直す工具
最後の補給のエネルギー源
ゼッケンや、タイム計測用のチップ、ユニフォーム
最終的なウォーミングアップ用の機械
などすべてクルマの中。。。。
JAFを呼んだとのことでしたが、到着はレース開始ギリギリ。
もうスタートしないで帰ろう。と思ってもみましたが、肝心なクルマは動きません。
万事休す。
実は、今回は重要な使命を帯びておりました。チームメイトから託されたもの。
それは「優勝してくること」でした。
黒田くんの力があれば、よほどの相手が出てこない限り勝てる。自分を信じて。
そう言われて来てはいるものの、同様のことを考えている人はいるもので、
勝とうと思って勝てるほど甘くはありません。
さて現実は・・・
閉じ込の責任を感じてか、仲間は必死に運営側と交渉し、
新しいゼッケンを発番してもらうことに成功。
試走時にインナーウエア+カッパしか着ていなかった自分は、
仲間からとりあえずウインドブレーカーを拝借。
なんとか即席ですがレース開始までに間に合い、
事前説明を受けないままスタート地点へ。
ゼッケン順に並べさせられます。私のゼッケンは臨時で発番した最終番号。
つまり一番後。最悪のスタート順です。
2分前にスタートするスポーツクラスの選手が走り去った後、
速そうな選手をチェックしておきます。
そうこうしているうちに、スタートになってしまいました。
スタートダッシュを決めた先頭集団はどんどん離れていきます。
少し焦りましたが、ビギナークラスの実力であのスピードが維持できるとは思えず、見送り。
案の定、初めの坂でモタついています。
ここでサクッとモタツイテいる選手たちをパスして、そのまま進みます。
他のクラスも混同して走っているのでどの選手が自分のライバルか判りません。
とにかく前方を見据えて進みます。
当初の作戦では、集団の前方でライバルの様子をうかがいながら走るはずでしたが、
前に何人いるか分からないので、もう、行くしかない状態。
さらに何人かパスしますが、どうやらクラス違いの様子。
その中で一人だけ追走してくる選手が。この人は同じクラスのようです。
ここは譲れませんが、力を使い過ぎて最後で負けても仕方がないので
相手の様子を伺いながら進みます。
もう、わけがわからない位泥んこです。それにくわえて土砂降りです。
さて、追走されているその選手。1周目で千切ったと思いましたが最後までついてきます。
結局勝負は、2周目最後のホームストレートまで持ち越しとなり・・・
最後の最後まで引きつけて、自分がゴールスプリント出来る最長の距離で一気にアタック。
ゴールラインを先に通過。勝った?!

と思いましたが・・・・ゴールのアナウンスもありません。
まさかと思い止まることなく、コーススタッフに聞くと
あと1周!!とのこと。
え?なんだって?コース変更って 2周から3周になったってこと?
なんてことでしょう。
2周で終わりと思っていたため、3周目のことなど考えていませんでした。
もう青色吐息。がむしゃらに走るだけです。
なんと前方に私と同じクラスの選手の姿が!!・・・・まだ前にいるかもしれません。
優勝はできなくてもとにかく走ろうと必死。こんな状況なのだから仕方がない。。。
スプリント勝負で相手が前に出てこなかったのは3周目があるから?
後ろからほかの選手が追いかけてこないのは、3周目で一気に追い上げるため?
後ろからほかの選手が追いかけてこないのは、3周目で一気に追い上げるため?
嫌な憶測が頭をよぎりますが、進むしかありません。
とりあえず誰からも抜かれることはなく、気がついたら後ろの選手はいなくなっていました。
最後のホームストレートで、追走がないのを確かめて、ゆっくりゴール。。。。
疲れました。。。いったい何位なのか。。。

仲間から聞いたのは、優勝?選手はずいぶんと速くゴールしていたとのこと。
あんなに頑張ったのに負けたのか・・・・失意でした。
そして、無情にもキーが解放されたクルマに戻ってさっさと着替えて。
まあ、入賞圏内(6位)には入っているであろうと、とりあえず表彰式に出てみます。
スタート前チェックしていた速そうな選手たちが表彰台の周りにいます。
ああ、彼?が勝ったのかな。甘かったな・・・
そう思いながら、とりあえず入賞していなかったら時間の無駄なので、スタッフに順位を確認してみます。
ビギナークラスの優勝は黒田さんです。あなたですか?表彰がありますからここにいてくださいね。
え?なんだって?一緒に肩を落としていた仲間と、地獄から一気に天国へ。
蓋をあけてみれば、2位と7秒の差をつけてのゴール。
人生初の表彰台の真ん中。
2位の人から、私が勝つはずだったのに、残念です!といわれました。
彼も狙っていたようです。

コーススタッフはわたしをスポーツクラスの選手と勘違いし、そのため3周目の指示。
途中で見た同じクラスの選手は、私が3周目に、周回遅れにした選手。
気味が悪いくらい声援が暖かいと思っていた3周目は、
最終走者に向けた頑張れコールだった模様。
最後に見た、ずいぶん早いゴールの選手は、1周少ないのだから速くて当たり前。
途中で見た同じクラスの選手は、私が3周目に、周回遅れにした選手。
気味が悪いくらい声援が暖かいと思っていた3周目は、
最終走者に向けた頑張れコールだった模様。
最後に見た、ずいぶん早いゴールの選手は、1周少ないのだから速くて当たり前。
ハプニングの連続でしたが結果オーライ。事実は小説よりも奇なり。
とてもすがすがしい気持ちとともに会場を後に。
いつの間にやら土砂降りの空に晴れ間がさしていました。

「はい、阿部真里子臨床心理オフィスです!」と、いつも電話番と受付事務をしている河野です。世の中が慌ただしく、政治の世界は白熱して暑くなってきそうな気配です。
最近、起きたエピソードをお伝えします。先日7月の初めの日曜日に『石原裕次郎ありがとう23回忌法要』のセレモニーに行って来ました。プレゼントがあると前ふれに、ハガキを2枚出しましたら、「当たっちゃった!」んです。
それで日曜日の昼頃から、のん気に千駄ヶ谷まで出かけて行きました。駅に降りたとたん、なんか違う雰囲気。青山何?丁目かまで国立競技場のまわりを歩かされ、22番ゲートから中に入って、4ブロックめ位だったでしょうか?献花を終え、プレゼントを頂くまで、何と4時間。あっちこっちで並んで、ホットドックを買うのにも30分。ハリボテの立派なお寺に竹の葉がそよぎ、赤やピンク・白のカーネーションをお供えして、何を隠そう…プレゼント欲しさに人の波に流されてきました。

翌日の新聞で11万7千人が参加されたことを知りました。良かったと思えたことは、こんなに大勢の中の二人だということ。地球上の二人だということに気がついたこと。二人だから、出来たこと、一人だとめげて帰っていたと思います。忘れていた何かを思い出したような、たった半日だけど、青春したような気がして、行って来て良かったと思っています。23歳の息子にそんな想いを話しましたら、「大事なことだと思うよ!」なんて言われました。この頃、主人のぐちを聞かされていたこの子は、少しホッとした様子。
つないだ絆をこれからも、この人と大切にしていきたいと思います。

関東では、ちょうど今、あじさいの花が見頃を迎えていて、私がよく通りかかる東京の王子駅のホームから飛鳥山公園のあじさいがよく見えます(6月末日現在)。今年の梅雨は、雨があまり降らないようで、蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですか。
早いもので、もう1年の半分が過ぎようとしています。私はすでに40代後半を迎えていますが、年とともに1年という時間がどんどん短くなっていきます。昔、ジャネという精神病理学者が「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」という「ジャネの法則」を見いだしました。10才の子どもの1年間は10分の1であり、60才の大人の1年間は60分の1となり、年をとるほどに主観的に感じる時間は短くなるという法則です。経験的には、本当にそのとおりだと感じています。小学生の頃は1日がとても長かったのに、この年になるとあっという間に1日が終わってしまいます。
ところで、心理学の理論の中に、レビンソンという心理学者が唱えたライフサイクル論があります。人生には周期があって、ある段階から次の段階に移行する際に心理的な危機を経験する、というものです。それに従えば、40~45才頃は中年期への移行期にあたり、体力の衰えや体調の変化に気づき、それをきっかけに自分のそれまでの半生を問い直し、将来への再方向づけを試みる時期だそうです。いわゆる「中年期危機」を経験する年頃ということになります。
私自身のことを振り返ってみますと、30代までは自分に何ができるのかもわからないままに、自分に与えられた仕事を懸命にやり遂げていく毎日でした。40才を越えたあたりでちょっとした病気を患い、体力の衰えを感じるようになって、自分はあと何年生きられるだろうか、仕事をしていられるのもあと何年だろうか、その間に自分は何ができるのだろうか、と自問するようになりました。心理学の理論というのは不思議なもので、理屈の上では中年期危機があることを知っていたはずなのですが、いざ自分がその時期を迎えると本当に理論どおりの人生を送っていることに少なからず驚いています。
実際の年齢としては、40代後半は人生の折り返し地点を過ぎたあたりになります。けれども、はじめにご紹介した「ジャネの法則」に従えば、年を重ねるごとに加速度的に時間の経過が速くなりますので、主観的には私の人生もあと残りわずか、ということになります(?)。だからこそ、本当に自分がやりたいと思えることをだけやろう、と考えるようになりました。ただし、そうはいっても、現実の生活はやりたいことだけをやって生きていけるほど甘くはありません。やりたいこととやらなければいけないことの折り合いをうまくつけながら、あとの人生を生き抜いてみようと思う今日この頃です。

早いもので、もう1年の半分が過ぎようとしています。私はすでに40代後半を迎えていますが、年とともに1年という時間がどんどん短くなっていきます。昔、ジャネという精神病理学者が「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」という「ジャネの法則」を見いだしました。10才の子どもの1年間は10分の1であり、60才の大人の1年間は60分の1となり、年をとるほどに主観的に感じる時間は短くなるという法則です。経験的には、本当にそのとおりだと感じています。小学生の頃は1日がとても長かったのに、この年になるとあっという間に1日が終わってしまいます。
ところで、心理学の理論の中に、レビンソンという心理学者が唱えたライフサイクル論があります。人生には周期があって、ある段階から次の段階に移行する際に心理的な危機を経験する、というものです。それに従えば、40~45才頃は中年期への移行期にあたり、体力の衰えや体調の変化に気づき、それをきっかけに自分のそれまでの半生を問い直し、将来への再方向づけを試みる時期だそうです。いわゆる「中年期危機」を経験する年頃ということになります。
私自身のことを振り返ってみますと、30代までは自分に何ができるのかもわからないままに、自分に与えられた仕事を懸命にやり遂げていく毎日でした。40才を越えたあたりでちょっとした病気を患い、体力の衰えを感じるようになって、自分はあと何年生きられるだろうか、仕事をしていられるのもあと何年だろうか、その間に自分は何ができるのだろうか、と自問するようになりました。心理学の理論というのは不思議なもので、理屈の上では中年期危機があることを知っていたはずなのですが、いざ自分がその時期を迎えると本当に理論どおりの人生を送っていることに少なからず驚いています。
実際の年齢としては、40代後半は人生の折り返し地点を過ぎたあたりになります。けれども、はじめにご紹介した「ジャネの法則」に従えば、年を重ねるごとに加速度的に時間の経過が速くなりますので、主観的には私の人生もあと残りわずか、ということになります(?)。だからこそ、本当に自分がやりたいと思えることをだけやろう、と考えるようになりました。ただし、そうはいっても、現実の生活はやりたいことだけをやって生きていけるほど甘くはありません。やりたいこととやらなければいけないことの折り合いをうまくつけながら、あとの人生を生き抜いてみようと思う今日この頃です。

こんにちは。カウンセラーの岩間です。
もうすぐ梅雨の季節がやってきますね。
ジメジメとした空気、生乾きの洗濯物、びしょ濡れの靴…
嫌な季節だなぁといつも思ってしまいます。
だけど…
雨だから、今日の休みは部屋の掃除をしようかな。
雨だから、久々に家でゆっくりしようかな。
と、いつの間にか雨の日ならではの選択肢を選んでいるようです。
雨の日にいつも自分は何をやっているのかな。
雨の日ってどんなことができるのかな。
と、雨に“意識を向けてみる”ことで、
雨音に耳を傾けながら過ごす生活も、少しは良いもののように感じることができました。
先日、お寺で座禅をする機会があったのですが、
その中で、 “意識を向ける”ということの面白さと大切さを感じる良い経験をすることができました。
今日は私が座禅を通し、感じたことをお話したいと思っています。
座禅はお寺の中で、15分ほどを1セットとし、2、3セットを夕食前、夕食後、朝食前に行いました。
座禅中は、いろいろな所に意識が向きます。
床の軋む音、風の音、虫の音、
お寺の香り、お香の香り、
自分の呼吸、体の変化、考えなど。
普段意識をむけることのないモノに“意識を向ける”と、
落ち着かなくなったり、心が安らいだり、嬉しくなったり…
いろいろな感情が現れてくることに気づきました。
臨済宗のお坊さんは、座禅が主な修行となると聞きました。
修行の最初の頃は、座禅中は自分の呼吸に意識を向けるようにするそうです。
1日に何時間も座禅をするということは、
周囲にある様々なモノに“意識が向き”、
自然と出てくる自分の考えに“意識が向く”
ことに繋がっていくように思いました。
そして、次の修行では、座禅中に禅問答を行うそうです。
「無とは何か?」
「空にある雲を掴むためにはどうしたらいいか?」
といった一見答えがないような問いに対し、
座禅中に考え、正解にたどり着くまで何ヶ月でも続けるそうです。
このような問いは様々な側面から考える必要があり、
いろいろな可能性を検討する必要があるように思いました。
そして、そのような思考を続けて行っているということは、
世の中のモノや人に対して、
どれも様々な側面や可能性を持っているということに“意識を向ける”ことができるということではないでしょうか。
そしてそれは、絶対という考え方には至らず、
「自分はこんなにできる」
「あの人はこういうところが駄目だ」
という思考パターンではなく、
「常に自分は未熟であり、向上していく必要がある。」
「どのような人にも様々な側面があり、敬意を払う必要がある。」
といった思考パターンに至るのではないかと思いました。
“意識を向ける”ことは食事の中でも感じ取ることができました。
食事は、楽しむ時間ではなく、食べ物に感謝する時間と捉えているため、余計な話はせず、物音も極力控えながら食事を取りました。
そうすると、
お米の甘味、おひたしの塩気、梅干の酸味など、個々の存在がはっきりと感じ取ることができ、それらが合わさったときの味も感じ取ることができました。
食べ物に“意識を向ける”ことが本当の意味での敬意を払うということに繋がるように思いました。
私は実は椎茸が嫌いです。
しかし、食事の際、不思議と食べることができました。
椎茸に“意識を向け”、
「こんな味なんだ。」「こういう食感なんだ。」
と考えるだけで否定的な感情は出ませんでした。
普段は嫌いという気持ちが強く、
いつの間にか椎茸を“評価”してしまい、
ありのままに“意識を向ける”ことができていなかったんだと感じました。
そして、モノと同様に、人に対しても“意識を向ける”ことは大切ではないでしょうか。
人に“意識を向ける”ことで、その人のいろいろな側面に気づくことができます。
「どんな人かな?」
「どんなことをするのかな?」
様々な場面や状況で、様々な側面をみせる人を理解することは難しいように思います。
だからこそ、“評価”をし、好き嫌いを決めてしまうのではなく、
“意識を向け”、その人の様々な側面を見落とさないようにすることが大切だと感じました。
人の嫌なところも、
場面によって良い方向に働くことがあるかもしれません。
嫌なところが出ない場面もあるかもしれません。
これがポジティブ思考だと私は思います。
無理に肯定的に捉えようとしたり、
否定的な側面を無視しようとしたりすることは、
楽観的とも捉えられます。
そうではなく、様々な側面に“意識を向け”ていくことで、自然と建設的で、肯定的な考え方に行き着くことがポジティブ思考なように思います。
もちろん、人を否定したり、嫌いになったりすることが、
心の安定を保つために必要なときもあります。
それがスキルとして大切な役割を果たすということは間違いないように思います。
ただ、世の中の様々なモノや人に“意識を向ける”ことなく、
スキルに頼ってしまうことももったいないように感じ、
今回このようなお話をさせて頂きました。
億劫な梅雨の季節を乗り切るため、少しでもお役に立てたら幸いです。
それではこのあたりで失礼させて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
もうすぐ梅雨の季節がやってきますね。
ジメジメとした空気、生乾きの洗濯物、びしょ濡れの靴…
嫌な季節だなぁといつも思ってしまいます。
だけど…
雨だから、今日の休みは部屋の掃除をしようかな。
雨だから、久々に家でゆっくりしようかな。
と、いつの間にか雨の日ならではの選択肢を選んでいるようです。
雨の日にいつも自分は何をやっているのかな。
雨の日ってどんなことができるのかな。
と、雨に“意識を向けてみる”ことで、
雨音に耳を傾けながら過ごす生活も、少しは良いもののように感じることができました。
先日、お寺で座禅をする機会があったのですが、
その中で、 “意識を向ける”ということの面白さと大切さを感じる良い経験をすることができました。
今日は私が座禅を通し、感じたことをお話したいと思っています。
座禅中は、いろいろな所に意識が向きます。
床の軋む音、風の音、虫の音、
お寺の香り、お香の香り、
自分の呼吸、体の変化、考えなど。
普段意識をむけることのないモノに“意識を向ける”と、
落ち着かなくなったり、心が安らいだり、嬉しくなったり…
いろいろな感情が現れてくることに気づきました。
臨済宗のお坊さんは、座禅が主な修行となると聞きました。
修行の最初の頃は、座禅中は自分の呼吸に意識を向けるようにするそうです。
1日に何時間も座禅をするということは、
周囲にある様々なモノに“意識が向き”、
自然と出てくる自分の考えに“意識が向く”
ことに繋がっていくように思いました。
そして、次の修行では、座禅中に禅問答を行うそうです。
「無とは何か?」
「空にある雲を掴むためにはどうしたらいいか?」
といった一見答えがないような問いに対し、
座禅中に考え、正解にたどり着くまで何ヶ月でも続けるそうです。
このような問いは様々な側面から考える必要があり、
いろいろな可能性を検討する必要があるように思いました。
世の中のモノや人に対して、
どれも様々な側面や可能性を持っているということに“意識を向ける”ことができるということではないでしょうか。
そしてそれは、絶対という考え方には至らず、
「自分はこんなにできる」
「あの人はこういうところが駄目だ」
という思考パターンではなく、
「常に自分は未熟であり、向上していく必要がある。」
「どのような人にも様々な側面があり、敬意を払う必要がある。」
といった思考パターンに至るのではないかと思いました。
“意識を向ける”ことは食事の中でも感じ取ることができました。
食事は、楽しむ時間ではなく、食べ物に感謝する時間と捉えているため、余計な話はせず、物音も極力控えながら食事を取りました。
そうすると、
お米の甘味、おひたしの塩気、梅干の酸味など、個々の存在がはっきりと感じ取ることができ、それらが合わさったときの味も感じ取ることができました。
食べ物に“意識を向ける”ことが本当の意味での敬意を払うということに繋がるように思いました。
私は実は椎茸が嫌いです。
しかし、食事の際、不思議と食べることができました。
椎茸に“意識を向け”、
「こんな味なんだ。」「こういう食感なんだ。」
と考えるだけで否定的な感情は出ませんでした。
普段は嫌いという気持ちが強く、
いつの間にか椎茸を“評価”してしまい、
ありのままに“意識を向ける”ことができていなかったんだと感じました。
そして、モノと同様に、人に対しても“意識を向ける”ことは大切ではないでしょうか。
人に“意識を向ける”ことで、その人のいろいろな側面に気づくことができます。
「どんな人かな?」
「どんなことをするのかな?」
様々な場面や状況で、様々な側面をみせる人を理解することは難しいように思います。
だからこそ、“評価”をし、好き嫌いを決めてしまうのではなく、
“意識を向け”、その人の様々な側面を見落とさないようにすることが大切だと感じました。
人の嫌なところも、
場面によって良い方向に働くことがあるかもしれません。
嫌なところが出ない場面もあるかもしれません。
これがポジティブ思考だと私は思います。
無理に肯定的に捉えようとしたり、
否定的な側面を無視しようとしたりすることは、
楽観的とも捉えられます。
そうではなく、様々な側面に“意識を向け”ていくことで、自然と建設的で、肯定的な考え方に行き着くことがポジティブ思考なように思います。
心の安定を保つために必要なときもあります。
それがスキルとして大切な役割を果たすということは間違いないように思います。
ただ、世の中の様々なモノや人に“意識を向ける”ことなく、
スキルに頼ってしまうことももったいないように感じ、
今回このようなお話をさせて頂きました。
億劫な梅雨の季節を乗り切るため、少しでもお役に立てたら幸いです。
それではこのあたりで失礼させて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
こんにちは。5月のメッセージを担当いたします、カウンセラーの岡島と申します。
このメッセージを担当させて頂くのも、今回が3回目となりました。
今回も、「4月末までに5月のメッセージをお願いしますね」とのメールが、何週間か前に私のもとに届きました。毎回、「何を書こうか…?」と頭を悩ますのですが、今回も依頼を受けてから、ネタ探しの日々が始まりました。
「どこかにネタになるようなことが転がっていないだろうか…?」と、毎日、右を左を上を下を見ながら歩きます。
すると、「こんなところに小さな花が咲いてる!」、「ビルとビルの間から、こんなに綺麗な空が広がってた!」、「あれ?いつの間にお店が出来たのかしら?今度入ってみよう!」と、今まで気がつかなかった沢山の発見があります。
毎日通っている道が、いつもとは少し違って見えます。余裕の無い日々を送っていたのかなぁ…と反省させられます。
そんなある日、今度は友人と、同じこの道を歩く機会がありました。
すると、友人は、「あ!あんなところに鳥が巣をつくってる!」、「こんなところに小さな金魚がいる!」、「ここは昔○○って呼ばれていたのかぁ」、「これは○○橋って言うんだね」と、実に様々なことに気がつくのです。
自分ひとりで歩いていたときには気がつかなかった物事に触れ、私は世界が2倍に広がったような感覚がしました。それと同時に、「この人はこういうところに目が向くのか!」と、自分との視点の違い、感じ方の違いにも触れ、良い刺激を受けました。
普段の生活の中で、普段の自分をちょっとだけ離れ、ゆとりのある時間を持つと、いつもとは違う世界が見えてきて、新たな発見が沢山あるようです。
また、他の人との間でそれを共有し、他の人の見方に触れることが、自分自身を振り返り、1歩進む上でのきっかけにもなるようです。
話は少し変わりますが、4月から、グループセラピーの第2クールが始まりました。
グループセラピーの場で、参加者の皆さんは、日々の生活から一時的に離れ、自分自身を見つめる中で、新たな気付きを得たり、グループのメンバー内でそれらを共有することで、他者との間での自分自身に気づく機会を多く持たれているようです。
新年度が始まって1ヶ月。新しい環境、新しい状況に身を置いて、知らず知らずの間に心と体に疲れが溜まっている方も多いと思います。日々の生活の中に、少しだけでもゆとりの時間を取り入れ、自分自身を振り返ることが、良好な心身の維持に繋がるように感じています。
連休は、この1ヶ月の自分自身を、ゆったりと振り返る時間をつくられてみてはいかがでしょうか?

今回も、「4月末までに5月のメッセージをお願いしますね」とのメールが、何週間か前に私のもとに届きました。毎回、「何を書こうか…?」と頭を悩ますのですが、今回も依頼を受けてから、ネタ探しの日々が始まりました。
「どこかにネタになるようなことが転がっていないだろうか…?」と、毎日、右を左を上を下を見ながら歩きます。
すると、「こんなところに小さな花が咲いてる!」、「ビルとビルの間から、こんなに綺麗な空が広がってた!」、「あれ?いつの間にお店が出来たのかしら?今度入ってみよう!」と、今まで気がつかなかった沢山の発見があります。
毎日通っている道が、いつもとは少し違って見えます。余裕の無い日々を送っていたのかなぁ…と反省させられます。
そんなある日、今度は友人と、同じこの道を歩く機会がありました。
すると、友人は、「あ!あんなところに鳥が巣をつくってる!」、「こんなところに小さな金魚がいる!」、「ここは昔○○って呼ばれていたのかぁ」、「これは○○橋って言うんだね」と、実に様々なことに気がつくのです。
自分ひとりで歩いていたときには気がつかなかった物事に触れ、私は世界が2倍に広がったような感覚がしました。それと同時に、「この人はこういうところに目が向くのか!」と、自分との視点の違い、感じ方の違いにも触れ、良い刺激を受けました。
普段の生活の中で、普段の自分をちょっとだけ離れ、ゆとりのある時間を持つと、いつもとは違う世界が見えてきて、新たな発見が沢山あるようです。
また、他の人との間でそれを共有し、他の人の見方に触れることが、自分自身を振り返り、1歩進む上でのきっかけにもなるようです。
話は少し変わりますが、4月から、グループセラピーの第2クールが始まりました。
グループセラピーの場で、参加者の皆さんは、日々の生活から一時的に離れ、自分自身を見つめる中で、新たな気付きを得たり、グループのメンバー内でそれらを共有することで、他者との間での自分自身に気づく機会を多く持たれているようです。
新年度が始まって1ヶ月。新しい環境、新しい状況に身を置いて、知らず知らずの間に心と体に疲れが溜まっている方も多いと思います。日々の生活の中に、少しだけでもゆとりの時間を取り入れ、自分自身を振り返ることが、良好な心身の維持に繋がるように感じています。
連休は、この1ヶ月の自分自身を、ゆったりと振り返る時間をつくられてみてはいかがでしょうか?

みなさん、こんにちは。今月のメッセージを担当させて頂きます、インテーカーの行田と申します。
今月から新年度がスタートするということで、今までと異なる環境で生活するという方が多いのではないでしょうか。ちなみに私も、昨年度までは木曜日が勤務日だったのですが、この4月より水曜日に勤務することになりました。
新たな環境へ入っていく時期というのは、新たな環境への不安や知らない土地、知らない人の中に入っていく孤独感といった、様々な気持ちが心に生じる時期かもしれないと思います。そういった様々なご自身の気持ちといかにお付き合いしていくか、とても大事ではありますが、なかなか難しいものです。

そんなことを思いながら、最近私が感じたことをお話しさせて頂きます。
私は最近、いろいろな視点から、また、いろいろな角度から物事を見るようになりたいと感じています。そうすると、今まで気づかなかったものが見えてくる気がします。
写真の銅像は、阿部真里子臨床心理オフィスがあるマンションの入り口付近にあるものです。オフィスに来られる方は、ご覧になったことがあるかもしれませんね。 どうですか?私は芸術には疎いので、この銅像のすばらしさについてはお話できませんが、女性が座っている銅像で、後ろには道路があります。道路標識なんかも見えます。みなさんはこの銅像を見て何を感じますか?もちろんこのままでも銅像は見ることができます。むしろ、こちらから見るのが最も見やすいかもしれません。でも、あえてこう見てみるとどうだろうと思ってこちらから見てみました。

女性の視線の先にある風景です。女性の視線の先にはマンションと立体駐車場が見えます。と~っても地味な写真になってしまいましたが、この女性は毎日マンションと駐車場と、この道を行きかう人々を見ているのだな~と、銅像の後ろに回ってみて始めて思いました。
また、私はよく電車を利用するのですが、たまにいつもは電車で通る道を何となく歩いてみることがあります。歩いてみると、「ここにはこんなお店があったのか!」とか、「おもしろいオブジェがあった!」なんていう小さな発見をして、楽しくなります。でも歩いていれば、電車の車窓から広がる風景には出会えないので、やっぱり電車も良いなと思ったりもします。
いつもと少し違う視点から見ると、「そんな考え方もあったんだ!」なんて、とても新鮮な気持ちになります。新しい環境に属することは、とても不安なことかもしれないですし、もしかしたらそれだけじゃないかもしれませんね。
ちなみに、オフィスの近くには、いたるところに銅像があるようです。どんな銅像があるのか、見つけてみるのも楽しそうです。もしご興味もたれた方は、いろいろな角度から見ようとするあまり、車道に出ないように気をつけて下さいね。
季節の変わり目ですし、ここ最近は花粉の量も多くなって参りました。くれぐれもお体は大事になさってくださいね。

今月から新年度がスタートするということで、今までと異なる環境で生活するという方が多いのではないでしょうか。ちなみに私も、昨年度までは木曜日が勤務日だったのですが、この4月より水曜日に勤務することになりました。
新たな環境へ入っていく時期というのは、新たな環境への不安や知らない土地、知らない人の中に入っていく孤独感といった、様々な気持ちが心に生じる時期かもしれないと思います。そういった様々なご自身の気持ちといかにお付き合いしていくか、とても大事ではありますが、なかなか難しいものです。

私は最近、いろいろな視点から、また、いろいろな角度から物事を見るようになりたいと感じています。そうすると、今まで気づかなかったものが見えてくる気がします。
写真の銅像は、阿部真里子臨床心理オフィスがあるマンションの入り口付近にあるものです。オフィスに来られる方は、ご覧になったことがあるかもしれませんね。 どうですか?私は芸術には疎いので、この銅像のすばらしさについてはお話できませんが、女性が座っている銅像で、後ろには道路があります。道路標識なんかも見えます。みなさんはこの銅像を見て何を感じますか?もちろんこのままでも銅像は見ることができます。むしろ、こちらから見るのが最も見やすいかもしれません。でも、あえてこう見てみるとどうだろうと思ってこちらから見てみました。

また、私はよく電車を利用するのですが、たまにいつもは電車で通る道を何となく歩いてみることがあります。歩いてみると、「ここにはこんなお店があったのか!」とか、「おもしろいオブジェがあった!」なんていう小さな発見をして、楽しくなります。でも歩いていれば、電車の車窓から広がる風景には出会えないので、やっぱり電車も良いなと思ったりもします。
いつもと少し違う視点から見ると、「そんな考え方もあったんだ!」なんて、とても新鮮な気持ちになります。新しい環境に属することは、とても不安なことかもしれないですし、もしかしたらそれだけじゃないかもしれませんね。
ちなみに、オフィスの近くには、いたるところに銅像があるようです。どんな銅像があるのか、見つけてみるのも楽しそうです。もしご興味もたれた方は、いろいろな角度から見ようとするあまり、車道に出ないように気をつけて下さいね。
季節の変わり目ですし、ここ最近は花粉の量も多くなって参りました。くれぐれもお体は大事になさってくださいね。

皆さまこんにちは。今月のメッセージを担当させていただく森有理香と申します。よろしくお願い致します。
3月になり、まだ風は冷たいものの、梅の花が咲いていたり、お花屋さんにチューリップがおいてあったりと、街の中にも少しずつ春を感じられるようになってきました。ポカポカ暖かい春は、寒さが苦手な私にとって、毎年待ち遠しい季節なのですが、皆様はいかがでしょうか。
さて、私にとって春は、待ち遠しい季節ではあるのですが、ちょっぴり寂しい気持ちになる季節でもあります。というのは、慣れ親しんだ場所から移動しなければならなかったり、親しい人たちとお別れをしなければならなかったりと、この時期は「別れ」の機会が多くなるからです。
先日、私自身も、6年間住んでいた街から新しい街へと引っ越しをしました。
今まで住んでいた街は、私が人生で初めて1人暮らしをした場所でもあったので、6年間しか住んでいなかったといえども、たくさんの思い出が詰まった場所であり、私にとって特別な場所でもありました。数時間電車に乗れば、いつでも来ることができるとはいえ、やはりそのような場所から離れるというのは寂しいものがあり、引越しの準備をしなければいけないことはわかっていても、なかなか荷造りが進みませんでした。

引っ越してすぐの頃は、どこになにがあるかもわからず、いろいろと大変でしたが、最近は「探検だ!」と思って、頻繁に近所を散歩するようにしています。そうすると、数分歩いただけでも新しい発見ができ、そうやって発見をしていくのが楽しみになってきました。
別れというのは寂しいものですが、別れがあったぶんだけ、新しい出会いがあるのかもしれません。新しい出会いは、自分に新たな発見やきづきを与え、それらが人生を豊かにするエッセンスになるのではないかと思います。私も今は、新たな場所で、新しい出会いを求めて積極的に行動していこうと思っています。 3月・4月は、このように皆様の周りでも、出会いや別れの機会が多くなるのではないかと思います。疲れが身体にたまりやすくなるとも思いますので、無理をなさらぬよう、どうぞご自愛ください。
まだまだ寒い日が続き、コートやマフラーが手放せない季節ですね。みなさま、風邪など引かずに過ごされていらっしゃるでしょうか。
今回のメッセージを担当することになりました、大滝明奈と申します。今回は、最近の私の出来事から感じたことをお話しさせていただきたいと思います。
先日、私にとって大きな課題をひとつ終了することになりました。いわば「大きな宿題」みたいなもので、その宿題は私にとっては果てしなく大きな大きな壁だったのです。 締め切りが迫るごとに私の気持ちは焦り、なんとかがんばろうと思っても空回り。うまくやろうと思ってもできず、「何て自分はダメなんだ」とどうしようもなくなっていた時に、ある友人からこんな言葉をかけられました
「どんなにどうしようもなくなってもなるようになるんだから。あなたにとって必要なことは必要なときにやって来るよ。今空回りながらもやってることは必要なことなんじゃない?」

それから状況が大きく変わったわけではないですが、「うまくいかないこともあるし、なるようになる」という考え方が入ってきたことで滞った気持ちがほんのちょっと動き、力が少し抜け、その宿題は不出来ながらもなんとか終わらせることができました。
大事な場面や評価されるときに、「頑張らなきゃ」「うまくやらなきゃ」と思いすぎることで余計な力が入り、立ち止まってしまい、逆に自分の力を発揮できないことがあります。そんなとき、「なるようになるさ」というちょっとした言葉で肩の力が抜けることもあるんだなぁと感じた出来事でした。

あけましておめでとうございます。
年が明けて2009年が始まりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
土曜日の隔週に、初回面接を担当させていただいております佐藤博子と申します。
1年のはじまる大切な1月のメッセージを担当させていただけることになりましたので、今回は、最近、わたしの所へやってきた「ほんの小さな、だけど、とっても幸せを感じたお話」をさせていただきたいと思います。
それは、2つあります。
1つ目は、Afternoon Teaのクッキーのお話です。
最近、やらなければならないことが重なって、いやになったり後悔したり、人と比較して落ち込んだり自己嫌悪に陥ったり、そんな毎日を送っている中、車検のためにお店にいかなければなりませんでした。しばらく乗っていなかったためにバッテリーが上がって車は動かず、JAFにお世話にならなければなりませんでした。時間がないのにとイライラ。なんとか動くようになってお店へ。持ってくるようにと言われていた必要な書類を忘れてあたふた。「自分、余裕ないなぁ」と感じました。そんなときに、来店したお客さまにとサービスで出されたのがAfternoon Teaのクッキーでした。どうぞと言われたのでありがたくいただきました。すると、とっても美味しい。クサクサしていた気持ちも瑞々しく潤ってきたように感じました。

帰り道に友人が、「これ友達にもらったハンドクリーム。塗ってみる?」と。それはローズの香りで、わたしは一気に癒されました。その香りを味わっていると、日々のもろもろから解放されて贅沢な時間を過ごしているように感じ、なんだかとっても幸せを感じて、忘れていたゆとりを思い出しました。

