皆様こんにちは。12月のメッセージを担当させていただきます、インテーカーの當間宏太と申します。
猛暑の続いた長い夏が終わり、短い秋が過ぎ、季節はすっかり冬ですね。
私は、自転車に乗る機会が多いのですが、冬になると決まって、運転中に涙が止まらなくなります。この間も、自転車で走っていた時に、涙がほほをスッと流れました。「あー、冬になったんだな」と気づかされた瞬間でした。
しかし、最近はそのような季節の移り変わりに対して疎くなっているような感じがしております。
子どもの頃は、季節の変化にとても敏感だったことが思い出されます。夏は半袖、短パン。冬は雪が降るのを楽しみにしていたなぁ(埼玉はほとんど降りませんでしたが・・・)、と。 それではなぜ季節、季節の変化に対して疎くなってしまったのだろう?そのように考えてみると、「季節を感じる心」や「それを生み出す心の余裕」みたいなものが無くなっているのではないかなぁと感じたりします。
このように季節のことを書いてみようと思って、振り返ってみると色々と季節を感じることの出来る要素に『出会ってはいる』、のだと気づきます。
たとえば、先ほどもお話ししましたように、僕は自転車で出かけることが多いのですが、それぞれの季節によっていつも通っている道が異なった姿を見せるものです。
春は、花粉症の私には厳しい季節です。
花粉が多く自転車に乗って走っていると普段歩いている場合よりも、必要以上の花粉を吸い込んでいるのではないか、そのことによってくしゃみや鼻水が止まらないのではないかと、道端に咲く花などを見て考えたりします。
夏は、あの強い日差しとそれに伴う大量の汗、さらに蝉の大きな鳴き声などが聞こえていたことが思い出されます。『このままプールへ行こう』と何度思ったことか・・・。
秋は、田んぼの近くを通るときの籾殻を燃やしている匂いや、田んぼ道を飛び交うバッタや小さい虫たち。その小さい虫が顔に当ることを避けるために自転車で転びそうになったこと。
冬は、先ほどの涙や衣服に覆われていない部分の感覚が無くなる感覚、それまでは明るかった道が同じ時間に通っても暗くなっているためにライトが必要なこと。などなど。
このようにゆっくり思い出して考えてみると、木々や虫たち、日照時間や空気など、周りの環境は季節の移り変わりとともに着実に変化しており、四季折々の姿を示していることに気づかされます。
それなのに、それを今までは感じていないと思っていたのは、やはり季節を感じる側の問題だったんだなぁと、改めて思います。
自転車に乗っていても、何かの締め切りに追われていてそのことを考えていたり、帰宅の時には一日の疲れによって、ただなんとなく自転車をこいでいる、そんな状態だから、上に書いたような些細な変化(些細ではないものもありますが)に気づくことが出来なかったんだなと・・・。
確かに、いつも心に余裕を持っていることは難しい、季節を感じてる場合じゃないという時はしょっちゅうあります。それでも、たまには、ゆっくりと感じていることに感覚を向けてみることも良いのではないかなぁと、思ったのでそんなことを書いてみました。
暦は12月になり、2010年も残すところ1ヶ月となりました。
残りの2010年、さらに、来る2011年が皆様にとって素敵な日々となりますように願いながら、終わりとさせていただきます。
猛暑の続いた長い夏が終わり、短い秋が過ぎ、季節はすっかり冬ですね。
私は、自転車に乗る機会が多いのですが、冬になると決まって、運転中に涙が止まらなくなります。この間も、自転車で走っていた時に、涙がほほをスッと流れました。「あー、冬になったんだな」と気づかされた瞬間でした。
しかし、最近はそのような季節の移り変わりに対して疎くなっているような感じがしております。
子どもの頃は、季節の変化にとても敏感だったことが思い出されます。夏は半袖、短パン。冬は雪が降るのを楽しみにしていたなぁ(埼玉はほとんど降りませんでしたが・・・)、と。 それではなぜ季節、季節の変化に対して疎くなってしまったのだろう?そのように考えてみると、「季節を感じる心」や「それを生み出す心の余裕」みたいなものが無くなっているのではないかなぁと感じたりします。
このように季節のことを書いてみようと思って、振り返ってみると色々と季節を感じることの出来る要素に『出会ってはいる』、のだと気づきます。
たとえば、先ほどもお話ししましたように、僕は自転車で出かけることが多いのですが、それぞれの季節によっていつも通っている道が異なった姿を見せるものです。
春は、花粉症の私には厳しい季節です。
花粉が多く自転車に乗って走っていると普段歩いている場合よりも、必要以上の花粉を吸い込んでいるのではないか、そのことによってくしゃみや鼻水が止まらないのではないかと、道端に咲く花などを見て考えたりします。
秋は、田んぼの近くを通るときの籾殻を燃やしている匂いや、田んぼ道を飛び交うバッタや小さい虫たち。その小さい虫が顔に当ることを避けるために自転車で転びそうになったこと。
冬は、先ほどの涙や衣服に覆われていない部分の感覚が無くなる感覚、それまでは明るかった道が同じ時間に通っても暗くなっているためにライトが必要なこと。などなど。
このようにゆっくり思い出して考えてみると、木々や虫たち、日照時間や空気など、周りの環境は季節の移り変わりとともに着実に変化しており、四季折々の姿を示していることに気づかされます。
それなのに、それを今までは感じていないと思っていたのは、やはり季節を感じる側の問題だったんだなぁと、改めて思います。
自転車に乗っていても、何かの締め切りに追われていてそのことを考えていたり、帰宅の時には一日の疲れによって、ただなんとなく自転車をこいでいる、そんな状態だから、上に書いたような些細な変化(些細ではないものもありますが)に気づくことが出来なかったんだなと・・・。
確かに、いつも心に余裕を持っていることは難しい、季節を感じてる場合じゃないという時はしょっちゅうあります。それでも、たまには、ゆっくりと感じていることに感覚を向けてみることも良いのではないかなぁと、思ったのでそんなことを書いてみました。
暦は12月になり、2010年も残すところ1ヶ月となりました。
残りの2010年、さらに、来る2011年が皆様にとって素敵な日々となりますように願いながら、終わりとさせていただきます。
皆さまこんにちは、11月のメッセージを担当させて頂きます。インテーカーの田島耕一郎と申します。宜しくお願いいたします。
日増しに日が暮れるのが早くなり、過ごしやすく感じられていた夕方の風も少し肌寒く感じられるようになり秋の深まりを感じます。
先日も夕方に乗った電車の車窓から街を眺めると、夏頃は感じなかったのですが街灯の明かりやネオンの明かりが随分明るく感じられ、そんな所からも秋の深まりを感じ、しみじみとした気持ちになりました。前にも同じような事を感じたな。いつだったろう?と思い返すと、数年前に地方にある地元の街を離れ、こちらに出てきた時の事が思い出され非常に懐かしい気持ちになりました。
今日は「日々をふりかえる事」について少々綴らせて頂きたいと思います。
このメッセージが皆さまの目に届く頃にはまだ年末まで2か月を残していますが、今年はみなさんにとってどのような年となっておりますでしょうか。
漠然とどのような年だったかと振り返り、思い浮かぶ出来事に思いを寄せるという思い出し方もあるかとは思いますが、日々をふりかえる方法の一つに日記があります。
面倒くさがりの私はもちろん日記をつけるというマメな行動はできないのですが、筆まめだった私の祖父は3年日記という日記を使用していました。これは、例えば11月1日ならば、見開きの11月1日のページが2009年・2010年・2011年と3分割されていて、前の年の同日に何をしていたのか、どんな事を感じていたのかを一目で振り返る事ができるものです。
それまでさほど日記自体に興味がなかった私ですが、ある時、農業を営んでいた祖父の日記を見せて貰う機会がありました。
見せて貰った祖父の日記には、前の年にどのような出来事があり、その時にどのような事を感じていたのかが書き残されていたのですが、その翌年の日記には前の年の日記を踏まえて種まきの時期を変えてみたことや、前年にも行った知人との交流を設定したりと、祖父が前年の日記を参考にして次の年の日々が有意義になるように工夫をこらしていたことが感じられました。
日々の出来事や感じたことを書き残すことはそれを思い出すことに繋がり、未来を豊かにすることに結びつくことをその時学ぶことが出来た様に感じます。
この時に必要なのが「ふりかえる事」であると感じます。
日記などに日々を書き残すこと。未来を豊かにしようとすること。この二つの行為はそれを結びつける「ふりかえる事」を通さずに為し得ることは出来ません。今回は日記を通してそれらについて考えさせて頂きましたが、人はそもそも記憶を持っています。冒頭で触れた様にただ思い出して日々をふり返るだけでも、それはその瞬間から先の日々を豊かにすることに結びつくのではないだろうかと考えられます。
オフィスでもカウンセリングを通して皆さんの日々を少し豊かにするために「ふりかえる事」のお手伝いができるのかもしれません。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
これから一段と寒さが増すかと思います。昨年はインフルエンザが流行りましたが今年はどうでしょうか。いずれにせよ、どうぞご自愛下さいませ。
先日も夕方に乗った電車の車窓から街を眺めると、夏頃は感じなかったのですが街灯の明かりやネオンの明かりが随分明るく感じられ、そんな所からも秋の深まりを感じ、しみじみとした気持ちになりました。前にも同じような事を感じたな。いつだったろう?と思い返すと、数年前に地方にある地元の街を離れ、こちらに出てきた時の事が思い出され非常に懐かしい気持ちになりました。
今日は「日々をふりかえる事」について少々綴らせて頂きたいと思います。
このメッセージが皆さまの目に届く頃にはまだ年末まで2か月を残していますが、今年はみなさんにとってどのような年となっておりますでしょうか。
漠然とどのような年だったかと振り返り、思い浮かぶ出来事に思いを寄せるという思い出し方もあるかとは思いますが、日々をふりかえる方法の一つに日記があります。
面倒くさがりの私はもちろん日記をつけるというマメな行動はできないのですが、筆まめだった私の祖父は3年日記という日記を使用していました。これは、例えば11月1日ならば、見開きの11月1日のページが2009年・2010年・2011年と3分割されていて、前の年の同日に何をしていたのか、どんな事を感じていたのかを一目で振り返る事ができるものです。
それまでさほど日記自体に興味がなかった私ですが、ある時、農業を営んでいた祖父の日記を見せて貰う機会がありました。
見せて貰った祖父の日記には、前の年にどのような出来事があり、その時にどのような事を感じていたのかが書き残されていたのですが、その翌年の日記には前の年の日記を踏まえて種まきの時期を変えてみたことや、前年にも行った知人との交流を設定したりと、祖父が前年の日記を参考にして次の年の日々が有意義になるように工夫をこらしていたことが感じられました。
この時に必要なのが「ふりかえる事」であると感じます。
日記などに日々を書き残すこと。未来を豊かにしようとすること。この二つの行為はそれを結びつける「ふりかえる事」を通さずに為し得ることは出来ません。今回は日記を通してそれらについて考えさせて頂きましたが、人はそもそも記憶を持っています。冒頭で触れた様にただ思い出して日々をふり返るだけでも、それはその瞬間から先の日々を豊かにすることに結びつくのではないだろうかと考えられます。
オフィスでもカウンセリングを通して皆さんの日々を少し豊かにするために「ふりかえる事」のお手伝いができるのかもしれません。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
これから一段と寒さが増すかと思います。昨年はインフルエンザが流行りましたが今年はどうでしょうか。いずれにせよ、どうぞご自愛下さいませ。
みなさん、こんにちは。10月のメッセージを執筆いたします、カウンセラーの斯波です。
10月のメッセージは、10月1日に掲載される予定ですので、実際に書いているのは9月の下旬であるわけですが・・・。
この9月の下旬になって、ず~っと降り続ける雨と共に、ようやく秋が訪れたような気がします。
みなさん感じていらっしゃることだと思いますが、今年の夏は本当に暑かったですね!そして長かったです。ここ数日の長雨がやってくるまでは、9月に入っても「猛暑日」と呼ばれる日が何日もありました。
そして、夏がそのように暑く長かったせいでしょうか? その猛暑が過ぎ去ると、今度は一気に「寒い!」と思うほどに気温が低下したように感じた方も多いのではないでしょうか?
私もここ数日、朝に起きた時の「寒さ」にびっくりしたりしています。
けれどもある日、あまりに寒く感じるのであわてて温度計を見たところ、気温は「25℃」もあったのです。25℃と言うと夏日と言われる温度です。気温は25℃もあるのに、私の体は「寒い」と感じていたようなのです。(風邪で寒気がしていた、とかいうわけではナイですよ!)
そういえば8月~9月前半には、「今日は涼しいな~」と感じていたのに、実は30℃ほども気温があった日もありました。30℃だと、真夏日と言われる気温なのに・・・ 30℃で涼しいと感じ、25℃で寒いと感じる。どうしてこんなことが起こるのでしょうか?
人間が温度を感じ取れるのは、もちろん、皮膚を中心に「温度を感じる神経」が張り巡らされているからなのですが・・・この神経は、ただ単に「温度を知らせる」という役割だけを持っているのではないみたいです。
人は「順応」という能力を持っていて、見たり聞いたりしたことや、感じたものや事柄などを、そのままの形で受け入れるのではなく「受け入れやすいように」調節して感じているといわれています。
暗い部屋にしばらくいると目が慣れて、ある程度周囲が見えるようになったり。また逆に、眩しすぎる光の中でも、しばらくすると見えてくるようになったりしますね。(それぞれ「暗順応」「明順応」などといいます。)
今年の暑さでいえば、あまりに暑い日が続いたので、体が暑さに「順応」していたのではないでしょうか。そこに30℃の日が訪れると「涼しいな」と感じ、25℃ともなると「寒い!」とすら感じてしまったのかもしれません。
暑さに慣れすぎたせいで25℃を寒いというのは「う~ん?」と思う部分もありますが、基本的にはこの「順応」という能力は、人が穏やかに生きていくために役立っているんだと思います。もしこの順応がなかったら、今年の夏は、誰もが感じていた「暑い暑い!」という気持ちの、さらに何倍も「暑い暑い!」だったかもしれないのです。
人の体は知らず知らずのうちに、周囲の環境を調節して感じることによって、過ごしやすい環境を自ら作っているんだなぁ、などと感じた出来事でした。
これは体の機能についてのお話のようですが、同時に「体の感じをどう受け止めるか」という「心の働き」と言い換えることもできると思います。
そして「体の感じ」に注意を向けることは、心身のバランスを取るための、とても有効な手段であると思います。
当オフィスでカウンセリングの一環としておこなうことの多い「自律訓練法」や「リラクセーション」での中でも「体の感じ」にじっくりと注意を向けていただいたりします。
すごく焦っている時や、不安に駆られているときなどは、自分の体の感じにうまく注意が向けられないことがあります。
また、ストレスによって頭痛だとか胃炎、吐き気などのような感覚を強い場合、その不快な感覚に注意が向きすぎてしまうことで、かえってその感覚を強めてしまったり、力を抜いた時の楽な感覚を上手く感じられないようなこともあります。
「あー、実はこんなに疲れていたんだなぁ」
「ちょっとお腹が空きすぎて調子が出ない・・・」
「今日は暑いかな? 涼しいかな?」
そんな感じで、じーっと自分の体の感じに注意を向けてみるだけでも、ちょっとしたリラックスになったりするかもしれませんよ。
さてさて、実は私はこの夏、プライベートで忙しいことがありまして、夏らしいことがあんまりできませんでした(その上、歯が痛くてアイスすら食べられなかった・・・泣)。
それでメッセージもなんだかコムズカシイ話になってしまっているかも・・・すみません。
来年の夏あたりには、さわやかな渓流でも観に行きたいなぁ。
なんて考えている、遅めの秋の始まりでした。
10月のメッセージは、10月1日に掲載される予定ですので、実際に書いているのは9月の下旬であるわけですが・・・。
この9月の下旬になって、ず~っと降り続ける雨と共に、ようやく秋が訪れたような気がします。
みなさん感じていらっしゃることだと思いますが、今年の夏は本当に暑かったですね!そして長かったです。ここ数日の長雨がやってくるまでは、9月に入っても「猛暑日」と呼ばれる日が何日もありました。
そして、夏がそのように暑く長かったせいでしょうか? その猛暑が過ぎ去ると、今度は一気に「寒い!」と思うほどに気温が低下したように感じた方も多いのではないでしょうか?
私もここ数日、朝に起きた時の「寒さ」にびっくりしたりしています。
けれどもある日、あまりに寒く感じるのであわてて温度計を見たところ、気温は「25℃」もあったのです。25℃と言うと夏日と言われる温度です。気温は25℃もあるのに、私の体は「寒い」と感じていたようなのです。(風邪で寒気がしていた、とかいうわけではナイですよ!)
「寒い!」と思ったのに・・・実は!?
そういえば8月~9月前半には、「今日は涼しいな~」と感じていたのに、実は30℃ほども気温があった日もありました。30℃だと、真夏日と言われる気温なのに・・・ 30℃で涼しいと感じ、25℃で寒いと感じる。どうしてこんなことが起こるのでしょうか?
人間が温度を感じ取れるのは、もちろん、皮膚を中心に「温度を感じる神経」が張り巡らされているからなのですが・・・この神経は、ただ単に「温度を知らせる」という役割だけを持っているのではないみたいです。
人は「順応」という能力を持っていて、見たり聞いたりしたことや、感じたものや事柄などを、そのままの形で受け入れるのではなく「受け入れやすいように」調節して感じているといわれています。
暗い部屋にしばらくいると目が慣れて、ある程度周囲が見えるようになったり。また逆に、眩しすぎる光の中でも、しばらくすると見えてくるようになったりしますね。(それぞれ「暗順応」「明順応」などといいます。)
今年の暑さでいえば、あまりに暑い日が続いたので、体が暑さに「順応」していたのではないでしょうか。そこに30℃の日が訪れると「涼しいな」と感じ、25℃ともなると「寒い!」とすら感じてしまったのかもしれません。
暑さに慣れすぎたせいで25℃を寒いというのは「う~ん?」と思う部分もありますが、基本的にはこの「順応」という能力は、人が穏やかに生きていくために役立っているんだと思います。もしこの順応がなかったら、今年の夏は、誰もが感じていた「暑い暑い!」という気持ちの、さらに何倍も「暑い暑い!」だったかもしれないのです。
人の体は知らず知らずのうちに、周囲の環境を調節して感じることによって、過ごしやすい環境を自ら作っているんだなぁ、などと感じた出来事でした。
オフィスのベランダから、降りしきる雨の中、暗い空の下の銀杏です。まだ青々としていますが、もうじき黄金色に色づくでしょう。
これは体の機能についてのお話のようですが、同時に「体の感じをどう受け止めるか」という「心の働き」と言い換えることもできると思います。
そして「体の感じ」に注意を向けることは、心身のバランスを取るための、とても有効な手段であると思います。
当オフィスでカウンセリングの一環としておこなうことの多い「自律訓練法」や「リラクセーション」での中でも「体の感じ」にじっくりと注意を向けていただいたりします。
すごく焦っている時や、不安に駆られているときなどは、自分の体の感じにうまく注意が向けられないことがあります。
また、ストレスによって頭痛だとか胃炎、吐き気などのような感覚を強い場合、その不快な感覚に注意が向きすぎてしまうことで、かえってその感覚を強めてしまったり、力を抜いた時の楽な感覚を上手く感じられないようなこともあります。
「あー、実はこんなに疲れていたんだなぁ」
「ちょっとお腹が空きすぎて調子が出ない・・・」
「今日は暑いかな? 涼しいかな?」
そんな感じで、じーっと自分の体の感じに注意を向けてみるだけでも、ちょっとしたリラックスになったりするかもしれませんよ。
さてさて、実は私はこの夏、プライベートで忙しいことがありまして、夏らしいことがあんまりできませんでした(その上、歯が痛くてアイスすら食べられなかった・・・泣)。
それでメッセージもなんだかコムズカシイ話になってしまっているかも・・・すみません。
来年の夏あたりには、さわやかな渓流でも観に行きたいなぁ。
なんて考えている、遅めの秋の始まりでした。
奥入瀬渓流の中にある「阿修羅の流れ」と呼ばれる場所だそうです。関係ありませんが、インターネットで転載自由の画像を見つけるのは、実は意外と大変ですね(笑) この写真は転載自由の素材サイトで見つけました。多謝。
今年は本当に暑い日が続きました。
暑さが和らぐと言われている処暑が過ぎても、まだまだ日中は暑いですね。
夕方になってくると少し風が出て、鳴くセミの種類も変わりますし、
夜になると、わが家の裏の公園からは秋の虫の鳴き声も聞こえてきます。
一歩一歩、秋へと近付いているのが感じられます。
さて、今年も無事に「自然体験活動」を終えることができました。
今年で13回目となるこの「自然体験活動(以下、研修)」は、第11回から埼玉県長瀞町で行われています(所長の気まぐれナビ第69回、第81回参照)。今年は8月23日(月)~25日(水)に開催ということで、参加者の方がどのくらい集まるか、心配をしていたのですが、参加者・スタッフ合わせて22人の参加となりました。
1日目のお昼過ぎに集合し、一息ついた所で入所式、出会いのゲームやリラクセーションプログラムと続きます。自律訓練法の体験では、気持ちが緩み過ぎて、ついウトウト・・・なんてことも。夜はキャンドルファイヤー。所長&特別ゲストのM先生&実習生で火の女神と水の女神のタップダンスを踊りました。この日のためにみんな何度も練習に通ったとか。
2日目は恒例となったラフティング&ライン下り。
長瀞に流れる荒川は、流れの速いところ(瀬)とゆっくりなところ(瀞:とろ)があって、その流れの違いも味わえます。長瀞は瀞が長いことからつけられた地名だそうです。
( この“瀞”が“トロい”の語源かも?なんて話もありました)。
ラフティングは7人ずつ2艘のゴムボートに乗り、インストラクターの方が1人ずつついて、川を下ります。乗る前にはヘルメットやライフジャケットをばっちり装着します。パドル(漕ぐ道具)を持って、いざ川へ。
乗っている人がパドルを使って漕いでいきますが、これがまた重労働。水をかくのって本当に大変で。流れの速いところでは空をかいていることも・・・。でも、みんなで「1、2」と声を出して漕ぐのはとても楽しかったです。ながれのゆっくりしたところでは、川に入って泳いだり、ゴムボートの片側にまたがってバナナボート風に乗ってみたり、命綱をつけて、タイタニックをしたり。いろいろな形で川の流れを楽しみました。
ライン下りは船頭さんのトークが絶妙でおもしろかったとか。ライン下りに参加した人は、みんな“かさこ地蔵”のような笠をもらって帰ってきていました。
バーベキューをして、午後は川原でのんびりと。水かけっこをしたり、どこかの家族連れとオタマジャクシを捕まえたり。日陰でゆっくり休んだり。日が傾くまで河原を楽しみました。
夜はバスケットボール。夏の体育館はとても暑くて。みんな汗だくだくになって、ボールを追いかけました。所長は高校生以来のバスケットボールだったそうです。
オフィスでは月に1回くらいのペースで“バスケの会”もやっています。参加しているのは初心者から上手な人まで様々ですが、みんなで楽しく体を動かすことを目的に集まっています。もし興味がある方がいらっしゃったら、ぜひご連絡下さいね。
2泊3日の研修はあっという間に過ぎて、最終日。
みんなで研修中のことを振り返り、グループで話しあいました。初日は緊張していて、出会いのゲームでもドキドキしていた様子だったのが、3日目にもなるとすっかり打ち解けて話が進みます。3日間寝食を共にして、いろいろな体験を共有する効果ってとても大きいですね。
長瀞は本当に自然が多くて、空も山も川もとてもきれいでした。
1日目の夜、山際から月が昇るのを見て本当にきれいだと見入ってしまいました。
普段の生活では、やらなければならないことなどに追われて、あまり目を向ける事がないことにも、研修の様に非日常な場面になると目を向ける余裕も出てくる気がします。
当オフィスの自然体験活動に参加していただくのでも、またちょっとした旅行にいくのでも、たまには日常を離れて、非日常に身を置いてみると新しい発見もあるかもしれません。
まだまだ暑い日が続きそうです。水分補給はしっかりと。
体調を崩されませんよう、お体ご自愛ください。
暑さが和らぐと言われている処暑が過ぎても、まだまだ日中は暑いですね。
夕方になってくると少し風が出て、鳴くセミの種類も変わりますし、
夜になると、わが家の裏の公園からは秋の虫の鳴き声も聞こえてきます。
一歩一歩、秋へと近付いているのが感じられます。
さて、今年も無事に「自然体験活動」を終えることができました。
今年で13回目となるこの「自然体験活動(以下、研修)」は、第11回から埼玉県長瀞町で行われています(所長の気まぐれナビ第69回、第81回参照)。今年は8月23日(月)~25日(水)に開催ということで、参加者の方がどのくらい集まるか、心配をしていたのですが、参加者・スタッフ合わせて22人の参加となりました。
1日目のお昼過ぎに集合し、一息ついた所で入所式、出会いのゲームやリラクセーションプログラムと続きます。自律訓練法の体験では、気持ちが緩み過ぎて、ついウトウト・・・なんてことも。夜はキャンドルファイヤー。所長&特別ゲストのM先生&実習生で火の女神と水の女神のタップダンスを踊りました。この日のためにみんな何度も練習に通ったとか。
2日目は恒例となったラフティング&ライン下り。
長瀞に流れる荒川は、流れの速いところ(瀬)とゆっくりなところ(瀞:とろ)があって、その流れの違いも味わえます。長瀞は瀞が長いことからつけられた地名だそうです。
( この“瀞”が“トロい”の語源かも?なんて話もありました)。
ラフティングは7人ずつ2艘のゴムボートに乗り、インストラクターの方が1人ずつついて、川を下ります。乗る前にはヘルメットやライフジャケットをばっちり装着します。パドル(漕ぐ道具)を持って、いざ川へ。
乗っている人がパドルを使って漕いでいきますが、これがまた重労働。水をかくのって本当に大変で。流れの速いところでは空をかいていることも・・・。でも、みんなで「1、2」と声を出して漕ぐのはとても楽しかったです。ながれのゆっくりしたところでは、川に入って泳いだり、ゴムボートの片側にまたがってバナナボート風に乗ってみたり、命綱をつけて、タイタニックをしたり。いろいろな形で川の流れを楽しみました。
バーベキューをして、午後は川原でのんびりと。水かけっこをしたり、どこかの家族連れとオタマジャクシを捕まえたり。日陰でゆっくり休んだり。日が傾くまで河原を楽しみました。
夜はバスケットボール。夏の体育館はとても暑くて。みんな汗だくだくになって、ボールを追いかけました。所長は高校生以来のバスケットボールだったそうです。
オフィスでは月に1回くらいのペースで“バスケの会”もやっています。参加しているのは初心者から上手な人まで様々ですが、みんなで楽しく体を動かすことを目的に集まっています。もし興味がある方がいらっしゃったら、ぜひご連絡下さいね。
みんなで研修中のことを振り返り、グループで話しあいました。初日は緊張していて、出会いのゲームでもドキドキしていた様子だったのが、3日目にもなるとすっかり打ち解けて話が進みます。3日間寝食を共にして、いろいろな体験を共有する効果ってとても大きいですね。
長瀞は本当に自然が多くて、空も山も川もとてもきれいでした。
1日目の夜、山際から月が昇るのを見て本当にきれいだと見入ってしまいました。
普段の生活では、やらなければならないことなどに追われて、あまり目を向ける事がないことにも、研修の様に非日常な場面になると目を向ける余裕も出てくる気がします。
当オフィスの自然体験活動に参加していただくのでも、またちょっとした旅行にいくのでも、たまには日常を離れて、非日常に身を置いてみると新しい発見もあるかもしれません。
体調を崩されませんよう、お体ご自愛ください。
暑い日が続いていますが、皆さんお元気ですか。
私は、毎年、避暑に山に行くことが多いのですが、山にいくと高山植物がちょっと楽しみです。
「クロユリ」という名前を聞いた時、「黒いユリ?ドロンジョ様みたいなユリかしらん」と思っていたら、初めてみた本物は、草丈が15㎝位の控え目の小さな花で、うつむき気味に咲いていました。
「え?これ?」と思わずほほえんでしまいました。
今年は、一足先に高山に行く機会があり、そこでコマクサがちょうど咲いているのを見ることができました。毎年、山にいくのが8月も後半の頃で、その頃は、山はもう秋に近づき、コマクサは、あまり咲いていません。一度「高山植物の女王」の称号を持つコマクサを見てみたいと思っていたので、とてもうれしく思いました。
濃いピンクの小さな花が恥ずかしげにうつむいて咲いている様子は、可憐そのもので、女王というより、「高原の乙女」の方がよいのではないかと…。
高山なので、大きな植物も育たず、赤茶けた岩場にがんばって咲いている様子をみていると、こんなところでも健気に生きてるんだなといじらしく感じました。
全般的に高山植物は、花が控えめなところがよく、また、なかなか会えないというところが、出会えた時の喜びを増すのかもしれませんね。
今年も、また、かわいい花に出会えるといいな。
私は、毎年、避暑に山に行くことが多いのですが、山にいくと高山植物がちょっと楽しみです。
「クロユリ」という名前を聞いた時、「黒いユリ?ドロンジョ様みたいなユリかしらん」と思っていたら、初めてみた本物は、草丈が15㎝位の控え目の小さな花で、うつむき気味に咲いていました。
「え?これ?」と思わずほほえんでしまいました。
今年は、一足先に高山に行く機会があり、そこでコマクサがちょうど咲いているのを見ることができました。毎年、山にいくのが8月も後半の頃で、その頃は、山はもう秋に近づき、コマクサは、あまり咲いていません。一度「高山植物の女王」の称号を持つコマクサを見てみたいと思っていたので、とてもうれしく思いました。
濃いピンクの小さな花が恥ずかしげにうつむいて咲いている様子は、可憐そのもので、女王というより、「高原の乙女」の方がよいのではないかと…。
高山なので、大きな植物も育たず、赤茶けた岩場にがんばって咲いている様子をみていると、こんなところでも健気に生きてるんだなといじらしく感じました。
全般的に高山植物は、花が控えめなところがよく、また、なかなか会えないというところが、出会えた時の喜びを増すのかもしれませんね。
今年も、また、かわいい花に出会えるといいな。
みなさん、こんにちは。阿部真里子臨床心理オフィスのスタッフで、西村と申します。今回7月のメッセージを担当させていただくことになりました。
7月と言えば梅雨も終わり、いよいよ夏らしい季節に入っていく時期ですね。夏と言えば皆さんはどんなことを思い浮かべられるでしょうか。
わたしは、夏と言えばやっぱり夏休み。夏休みと言えば旅行です。旅行と言っても近場への小さな旅から本格的に遠くに行く大々的なものまであります。計画を立ててどこへ行こう、何を食べようといろいろと想像をふくらませるのも楽しいですし、でも実際に訪ねてみると予期せぬハプニングが起こったりして、それに対応するのも楽しみになることがあります。
今回ご紹介するのは私と同じように「夏」と聞いてわくわくしている人、あるいは新しい体験をしたいと思っていらっしゃる人にお送りしたい言葉です。
ちょうど3年前の夏まで1年半、アメリカに滞在していました。そのときに英語を習っていたのですが、その語学学校でアメリカ人が好んで使う「Open Mind 」という言葉を知りました。Open mind とは、直訳すると「開かれた心」となりますが、もう少し詳しく説明すると、思い込みや偏見を持たないで、他人の意見やあるがままの状況を受け入れて理解しようとする心の持ち方ということです。
その言葉を習ったときに、偶然にも同じ時期に起きた一つのエピソードがありますのでご紹介させていただきます。その語学学校には様々な国の生徒がいて、たとえばヨーロッパ、アジア、南米などからアメリカへ来ていました。その中でも南米の人はいわゆるラテン風というのでしょうか、挨拶にハグと両ほほに軽いキスをします。日本人だと、少し抵抗をおぼえる習慣ではないかと思いますが、私もどきどきしながらその挨拶を見ている一人でした。
1ヶ月の授業の期間が終わる頃になっても、南米のクラスメイト(女性です)は私には「ラテン式挨拶」をしてくれるようにはなってくれませんでした。ちょっぴりがっかりした私は、友達に軽くこぼしたのですが、それを聞いていたクラスメイトが言いました。「あなたが引いているように見えるから、しないんだと思うよ。あなたの方から、一歩退いてしまっていて、壁を作っているのがわかるんだよ。」それを聞いていた周りのクラスメイトも、うんうん、とうなずいていました。
こちらの緊張や気まずく思う気持ちが相手に伝わってしまい、相手の態度に反映してしまうことは多いと思います。先ほどのエピソードでも、私が「この状況はおもしろいな」と思っていたら、また南米のクラスメイトとの関係も変わっていたのかもしれません。
新しい場面をどんどん楽しんでいければよいのでしょうが、なかなか性格的に自分には難しいな・・と思う方もいらっしゃるとおもいます。そんなときに慌てず、自分の思い込みはとりあえず脇に置いておき、「Open Mind」で対応していくことができれば、自分自身が楽になることもきっと多いのではないでしょうか。そして自分が楽になると余裕のある対応ができ、それが良い自己暗示にもなってより楽しくその場を楽しめるようになるのではないかと思います。
皆さんがこの夏、「Open Mind」で楽しい思い出、これまで体験したことのないようなわくわくする経験ができることを願っています。
7月と言えば梅雨も終わり、いよいよ夏らしい季節に入っていく時期ですね。夏と言えば皆さんはどんなことを思い浮かべられるでしょうか。
わたしは、夏と言えばやっぱり夏休み。夏休みと言えば旅行です。旅行と言っても近場への小さな旅から本格的に遠くに行く大々的なものまであります。計画を立ててどこへ行こう、何を食べようといろいろと想像をふくらませるのも楽しいですし、でも実際に訪ねてみると予期せぬハプニングが起こったりして、それに対応するのも楽しみになることがあります。
今回ご紹介するのは私と同じように「夏」と聞いてわくわくしている人、あるいは新しい体験をしたいと思っていらっしゃる人にお送りしたい言葉です。
ちょうど3年前の夏まで1年半、アメリカに滞在していました。そのときに英語を習っていたのですが、その語学学校でアメリカ人が好んで使う「Open Mind 」という言葉を知りました。Open mind とは、直訳すると「開かれた心」となりますが、もう少し詳しく説明すると、思い込みや偏見を持たないで、他人の意見やあるがままの状況を受け入れて理解しようとする心の持ち方ということです。
その言葉を習ったときに、偶然にも同じ時期に起きた一つのエピソードがありますのでご紹介させていただきます。その語学学校には様々な国の生徒がいて、たとえばヨーロッパ、アジア、南米などからアメリカへ来ていました。その中でも南米の人はいわゆるラテン風というのでしょうか、挨拶にハグと両ほほに軽いキスをします。日本人だと、少し抵抗をおぼえる習慣ではないかと思いますが、私もどきどきしながらその挨拶を見ている一人でした。
1ヶ月の授業の期間が終わる頃になっても、南米のクラスメイト(女性です)は私には「ラテン式挨拶」をしてくれるようにはなってくれませんでした。ちょっぴりがっかりした私は、友達に軽くこぼしたのですが、それを聞いていたクラスメイトが言いました。「あなたが引いているように見えるから、しないんだと思うよ。あなたの方から、一歩退いてしまっていて、壁を作っているのがわかるんだよ。」それを聞いていた周りのクラスメイトも、うんうん、とうなずいていました。
こちらの緊張や気まずく思う気持ちが相手に伝わってしまい、相手の態度に反映してしまうことは多いと思います。先ほどのエピソードでも、私が「この状況はおもしろいな」と思っていたら、また南米のクラスメイトとの関係も変わっていたのかもしれません。
新しい場面をどんどん楽しんでいければよいのでしょうが、なかなか性格的に自分には難しいな・・と思う方もいらっしゃるとおもいます。そんなときに慌てず、自分の思い込みはとりあえず脇に置いておき、「Open Mind」で対応していくことができれば、自分自身が楽になることもきっと多いのではないでしょうか。そして自分が楽になると余裕のある対応ができ、それが良い自己暗示にもなってより楽しくその場を楽しめるようになるのではないかと思います。
皆さんがこの夏、「Open Mind」で楽しい思い出、これまで体験したことのないようなわくわくする経験ができることを願っています。
『Rain』という、ビートルズ(ジョン・レノン作詞/作曲)の曲があります。ビートルズのメンバーも気に入っているという名曲のひとつです。この曲の歌詞の概要は以下のような感じです。
「雨が降ってくるとみんな頭を隠して走り出す。
日が照ってくるとみんな木陰に避難する。
雨でも僕は気にしないし、晴れでも天気がいいというだけのこと。
雨が降り出したとして、何かが変わる訳でもない。
雨だろうと晴れだろうと、それは心のありよう次第さ
(When it rains and shines, It's just a state of mind)」
この曲を聴いていると色々な思いが浮かんできます。…確かに雨が降ってもそれをどう思い・受けとめるかはその人の心が決めることだな。心理現象の真実を「雨」というメタファーで表現している興味深い歌詞だな。とはいえ雨の程度にもよるよな。もし台風レベルの豪雨のときも「雨でも僕は気にしない(Rain, I don't mind)」と思えるかな。いやそれはなかなか難しいな。でもそれができるようになるとすごいことだな。…そんなことを雑念のように考えたりします。
『Rain』は歌詞が印象的なだけではなく曲もとってもいい感じで、私が大好きなビートルズの曲のひとつです。ビートルズが初めてテープの逆回転を導入した曲としても有名で、メンバーの演奏も素晴らしいと非常に高く評価されているようです。まだ聴いたことのない方は『PAST MASTERS』というアルバムに入っているので、興味があったら聴いてみて下さい。
6月は梅雨の季節ですね。近年の異常気象で今年はどんな梅雨になるのか(このメッセージを書いている今は)まだ分かりませんが、「雨だろうと晴れだろうと」皆さまが心すこやかに過ごせればと願っております。
日が照ってくるとみんな木陰に避難する。
雨でも僕は気にしないし、晴れでも天気がいいというだけのこと。
雨が降り出したとして、何かが変わる訳でもない。
雨だろうと晴れだろうと、それは心のありよう次第さ
(When it rains and shines, It's just a state of mind)」
この曲を聴いていると色々な思いが浮かんできます。…確かに雨が降ってもそれをどう思い・受けとめるかはその人の心が決めることだな。心理現象の真実を「雨」というメタファーで表現している興味深い歌詞だな。とはいえ雨の程度にもよるよな。もし台風レベルの豪雨のときも「雨でも僕は気にしない(Rain, I don't mind)」と思えるかな。いやそれはなかなか難しいな。でもそれができるようになるとすごいことだな。…そんなことを雑念のように考えたりします。
『Rain』は歌詞が印象的なだけではなく曲もとってもいい感じで、私が大好きなビートルズの曲のひとつです。ビートルズが初めてテープの逆回転を導入した曲としても有名で、メンバーの演奏も素晴らしいと非常に高く評価されているようです。まだ聴いたことのない方は『PAST MASTERS』というアルバムに入っているので、興味があったら聴いてみて下さい。
6月は梅雨の季節ですね。近年の異常気象で今年はどんな梅雨になるのか(このメッセージを書いている今は)まだ分かりませんが、「雨だろうと晴れだろうと」皆さまが心すこやかに過ごせればと願っております。
皆さまこんにちは。5月のメッセージを担当させて頂きます。実習生の田島耕一郎と申します。宜しくお願いします。
寒暖の激しかった4月が去り、最近はようやく気温が落ち着いてきました。気温が落ち着いてくると4月には肌寒く感じられていた風もようやく爽やかに感じられるようになりました。私の暮らしている町には鯉のぼりがたくさん飾り付けられている橋が架かっているのですが、その橋の鯉のぼりもどこか清々しそうに風を受けているように感じられます。
さて、5月となりましたが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
慌ただしかった新学期や新年度の雰囲気にも少し慣れた感覚を持ちつつも始まったばかりの新しい年度にこれからどんな事が起きるのだろうと期待や不安を感じている方もまだ多いのではないだろうかと考えます。そんな年度の始まりの感覚が残っている5月ですので今日は「始めること」についてのお話をさせて頂こうと思います。
私事で大変恐縮なのですが、私は今年前厄を迎えました。厄年と聞くと運が悪く病気になりやすかったり、不幸な出来事が起こりやすいのだろうかと考えてしまいがちですが、どうやら単純に運が悪いというわけではないようです。
それぞれの年には体質が変わりやすい年であるために体調を崩しやすい時期だから注意してください。人生の中で大きな変化が起きやすい時期だから注意して過ごしてください。といった意味があるようです。
私は単純な性格なのでこれを知ったとき「じゃあ、健康的な生活をすれば厄年は恐れなくて良いんじゃないだろうか」と考え、早速、夜帰宅して晩御飯を食べた後に20分くらいランニングをしたり歩いたりしてみようと思いました。 毎晩そうすることができるわけではないですが、夜に川沿いの走りやすそうな道をランニングしていると川面に映る月が幻想的に感じられたり風に吹かれた草木が立てる音が心地よく感じられて、どこかゆったりとした気分で一日の出来事を振り返ったり、次の日にするべきことを考えたり、次の休みをどうやって楽しく過ごそうかなどと自分と向き合って日々について考える時間ができたように感じます。
私の場合は自分が前厄を迎えたことを知った事をきっかけに走ることを始めました。「厄年に対処しよう」という考えから始めた行動ですが、自分で思っていた以上に充実した時間を過ごすことができているように感じます。
おそらく、ひとりひとりにとってきっかけは様々であると思いますが、それに気づき、何かを始めることで日々の暮らしが少しだけ変わって、今よりも少しだけ充実した日々を送ることができるようになるかもしれないなと考えます。
始まったばかりの新年度です。日々の生活に変化を求めている方はかんたんなところからなにかを始められてはいかがでしょうか。日々が少し豊かになるかもしれません。
これからどんどん気温も上がっていきます。自分では気がつかないうちに疲れていることなどもあるかもしれません。皆さまどうぞご自愛ください。
最後までお読み頂きありがとうございました。
寒暖の激しかった4月が去り、最近はようやく気温が落ち着いてきました。気温が落ち着いてくると4月には肌寒く感じられていた風もようやく爽やかに感じられるようになりました。私の暮らしている町には鯉のぼりがたくさん飾り付けられている橋が架かっているのですが、その橋の鯉のぼりもどこか清々しそうに風を受けているように感じられます。
慌ただしかった新学期や新年度の雰囲気にも少し慣れた感覚を持ちつつも始まったばかりの新しい年度にこれからどんな事が起きるのだろうと期待や不安を感じている方もまだ多いのではないだろうかと考えます。そんな年度の始まりの感覚が残っている5月ですので今日は「始めること」についてのお話をさせて頂こうと思います。
私事で大変恐縮なのですが、私は今年前厄を迎えました。厄年と聞くと運が悪く病気になりやすかったり、不幸な出来事が起こりやすいのだろうかと考えてしまいがちですが、どうやら単純に運が悪いというわけではないようです。
それぞれの年には体質が変わりやすい年であるために体調を崩しやすい時期だから注意してください。人生の中で大きな変化が起きやすい時期だから注意して過ごしてください。といった意味があるようです。
私は単純な性格なのでこれを知ったとき「じゃあ、健康的な生活をすれば厄年は恐れなくて良いんじゃないだろうか」と考え、早速、夜帰宅して晩御飯を食べた後に20分くらいランニングをしたり歩いたりしてみようと思いました。 毎晩そうすることができるわけではないですが、夜に川沿いの走りやすそうな道をランニングしていると川面に映る月が幻想的に感じられたり風に吹かれた草木が立てる音が心地よく感じられて、どこかゆったりとした気分で一日の出来事を振り返ったり、次の日にするべきことを考えたり、次の休みをどうやって楽しく過ごそうかなどと自分と向き合って日々について考える時間ができたように感じます。
おそらく、ひとりひとりにとってきっかけは様々であると思いますが、それに気づき、何かを始めることで日々の暮らしが少しだけ変わって、今よりも少しだけ充実した日々を送ることができるようになるかもしれないなと考えます。
始まったばかりの新年度です。日々の生活に変化を求めている方はかんたんなところからなにかを始められてはいかがでしょうか。日々が少し豊かになるかもしれません。
これからどんどん気温も上がっていきます。自分では気がつかないうちに疲れていることなどもあるかもしれません。皆さまどうぞご自愛ください。
最後までお読み頂きありがとうございました。
みなさんこんにちは。4月のメッセージを担当させていただく、金子麻耶と申します。
年度が変わり、新しい環境などで期待とともに不安も感じる時期かと思います。柔らかい気候への喜びとともに、不安や緊張といった色々な気持ちが入り混じるのが春という季節ではないでしょうか。
私自身も、花の匂いがすると、「春になったなあ、これから暖かくなるからいいなあ」という気持ちとともに、「新しい環境でなじめるかドキドキするなあ」という気持ちがわきあがってきます。
先日、山の上にある神社へ行く機会がありました。その山は標高233メートルで、麓の看板には「頂上まで往復で約30分です」と書かれていました。私は運動は苦手で、山登りも好きではないのですが、「30分程度なら大丈夫だろう」と思い階段を登り始めました。
しかし、10分くらい歩いたところで日頃の運動不足がたたってか、息が上がって「もう登りたくない・・・」という気持ちになってきました。でもまだ始めたばかりだし、とりあえず真ん中までは行こう!と決めて、山の中腹を目標に歩き続けました。ちょうど半分くらいのところに着くと、山から市内が見渡せ、とても綺麗で素晴らしかった・・・と言いたいところなのですが、あまりにも疲れすぎていて景色は目には入ってきても、何も考えられず、頭の中は「早くこの苦しみから抜け出したい・・・」ということばかり考えていました。
その場所でしばらく休憩していると、後ろから颯爽と登ってきた70代くらいの男性に、「おねえちゃん若いのにしんどそうやなあ」と声をかけられました。その方に、ここから先、頂上へ行くには2つのルートがあって、右の道を行った方が楽に行けるということを教えていただきました。その方はまた颯爽と階段を登っていきました。その姿を見て、私ももう少し頑張ろうと思い、右の道から頂上を目指しました。
しかし、気持ちでは「がんばろう!」と思っていても、体がついていきません。少し登っただけでハアハアと息は切れ、足も上がりません。後ろから登ってくる人にも何人にも追い抜かれながら、ようやく頂上にたどり着いたころには、何も考えられないくらい疲れていました。
当初の目的であった参拝をしましたが、「早く帰りたい」という気持ちが強く、景色や神社の雰囲気を楽しむ余裕もなく下山しました。
この参拝を経て、私は2つのことを学びました。
まずは、頑張りすぎることは、時に何も残さないことがあることです。私は景色を楽しむために登ったはずなのに、結果として疲れすぎて景色を楽しむ余裕がありませんでした。
もうひとつは、あまり周囲の人の姿に流されないことです。私を励ましてくれた男性は、颯爽としてかっこよかったですが、その方のペースと私のペースは違ったようです。焦って同じようにしなくても、ゴールするところは一緒です。
自分のペースの中で、少しずつやれることをやることが大事なのかなと思いました。
写真はその時参拝した神社の鳥居です。
年度が変わり、新しい環境などで期待とともに不安も感じる時期かと思います。柔らかい気候への喜びとともに、不安や緊張といった色々な気持ちが入り混じるのが春という季節ではないでしょうか。
私自身も、花の匂いがすると、「春になったなあ、これから暖かくなるからいいなあ」という気持ちとともに、「新しい環境でなじめるかドキドキするなあ」という気持ちがわきあがってきます。
先日、山の上にある神社へ行く機会がありました。その山は標高233メートルで、麓の看板には「頂上まで往復で約30分です」と書かれていました。私は運動は苦手で、山登りも好きではないのですが、「30分程度なら大丈夫だろう」と思い階段を登り始めました。
しかし、10分くらい歩いたところで日頃の運動不足がたたってか、息が上がって「もう登りたくない・・・」という気持ちになってきました。でもまだ始めたばかりだし、とりあえず真ん中までは行こう!と決めて、山の中腹を目標に歩き続けました。ちょうど半分くらいのところに着くと、山から市内が見渡せ、とても綺麗で素晴らしかった・・・と言いたいところなのですが、あまりにも疲れすぎていて景色は目には入ってきても、何も考えられず、頭の中は「早くこの苦しみから抜け出したい・・・」ということばかり考えていました。
その場所でしばらく休憩していると、後ろから颯爽と登ってきた70代くらいの男性に、「おねえちゃん若いのにしんどそうやなあ」と声をかけられました。その方に、ここから先、頂上へ行くには2つのルートがあって、右の道を行った方が楽に行けるということを教えていただきました。その方はまた颯爽と階段を登っていきました。その姿を見て、私ももう少し頑張ろうと思い、右の道から頂上を目指しました。
しかし、気持ちでは「がんばろう!」と思っていても、体がついていきません。少し登っただけでハアハアと息は切れ、足も上がりません。後ろから登ってくる人にも何人にも追い抜かれながら、ようやく頂上にたどり着いたころには、何も考えられないくらい疲れていました。
当初の目的であった参拝をしましたが、「早く帰りたい」という気持ちが強く、景色や神社の雰囲気を楽しむ余裕もなく下山しました。
この参拝を経て、私は2つのことを学びました。
まずは、頑張りすぎることは、時に何も残さないことがあることです。私は景色を楽しむために登ったはずなのに、結果として疲れすぎて景色を楽しむ余裕がありませんでした。
もうひとつは、あまり周囲の人の姿に流されないことです。私を励ましてくれた男性は、颯爽としてかっこよかったですが、その方のペースと私のペースは違ったようです。焦って同じようにしなくても、ゴールするところは一緒です。
自分のペースの中で、少しずつやれることをやることが大事なのかなと思いました。
写真はその時参拝した神社の鳥居です。
3月のメッセージを担当させていただきます、與儀恵と申します。宜しくお願い致します。 さて、3月と言えば、年度替わりということで、新生活に向けて色々忙しい時期でもありますね。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」という言葉がありますが、「去る」ということはいずれも4月からの新たな旅立ち・出発の始まりでもあると思います。また、 これまでの自分の生活を振り返り、新しい一歩を踏み出すための準備期間とも言えるかもしれません。
そんな3月における、私の印象的なエピソードをこれから綴っていきたいと思います。 私が以前通っていた中学校では、卒業式前に毎年「3年生を送る会」というものが開かれます。部活動や委員会等でお世話になった先輩方に、これまでのお礼を伝え、これからのご健闘を称える会です。 その会では、1~3年生がそれぞれ様々な出し物を発表します。劇であったり合唱であったり…。笑いあり涙ありの催しです。
それは私が中学2年時の「3年生を送る会」のときでした。 1年生の溌剌とした発表が終わり、2年生の愉快な発表も終わって、最後に3年生の有志による発表時間が訪れました。
そこでは、公私共々様々な場面で交流があり、私たちと一緒に学校行事を練り上げてきた先輩(女性)が、体育館のステージでギター弾き語りを発表しました(当時、女性がギターを弾く姿はとても珍しく新鮮だったのではないかと思います)。 普段は体育会系の部活に励み、明朗快活で大きな口を開けて豪快に笑う女性でした。 そんな姿からは想像できない程の非常に艶やかな音色と美声が、マイクを通して体育館全体に響き渡り、一瞬にして全校生徒・教師が惹きこまれていきました。 先輩が発する「音楽」には、親しみ慣れた友達との別れを惜しむ悲しさがありました。 また、先輩が発する「音楽」には、これから始まる新生活への期待と喜びがありました。
言葉だけでは表現しつくせない何かが、「音楽」に乗って私たちの心に鳴り響き、それぞれが色々な思いを抱えて今旅立とうとしているのだと思いました。 私は、それはとても素敵な旅立ちになるだろうと確信しました。 感覚に涙していたのは、私だけではなかったと思います。それ以来、気持ちを「音楽」に乗せることに魅了されながら、毎年3月になると、新生活に向けて心の準備を行っています。
メッセージをご覧の皆さまも、沢山の思いを抱えて新しい生活へと旅立たれるとは思いますが、ふとした瞬間に聞こえてくる「音楽」に少し耳を澄ましてみてください。 きっと素敵な旅立ちを後押ししてくれることでしょう。
そんな3月における、私の印象的なエピソードをこれから綴っていきたいと思います。 私が以前通っていた中学校では、卒業式前に毎年「3年生を送る会」というものが開かれます。部活動や委員会等でお世話になった先輩方に、これまでのお礼を伝え、これからのご健闘を称える会です。 その会では、1~3年生がそれぞれ様々な出し物を発表します。劇であったり合唱であったり…。笑いあり涙ありの催しです。
それは私が中学2年時の「3年生を送る会」のときでした。 1年生の溌剌とした発表が終わり、2年生の愉快な発表も終わって、最後に3年生の有志による発表時間が訪れました。
そこでは、公私共々様々な場面で交流があり、私たちと一緒に学校行事を練り上げてきた先輩(女性)が、体育館のステージでギター弾き語りを発表しました(当時、女性がギターを弾く姿はとても珍しく新鮮だったのではないかと思います)。 普段は体育会系の部活に励み、明朗快活で大きな口を開けて豪快に笑う女性でした。 そんな姿からは想像できない程の非常に艶やかな音色と美声が、マイクを通して体育館全体に響き渡り、一瞬にして全校生徒・教師が惹きこまれていきました。 先輩が発する「音楽」には、親しみ慣れた友達との別れを惜しむ悲しさがありました。 また、先輩が発する「音楽」には、これから始まる新生活への期待と喜びがありました。
言葉だけでは表現しつくせない何かが、「音楽」に乗って私たちの心に鳴り響き、それぞれが色々な思いを抱えて今旅立とうとしているのだと思いました。 私は、それはとても素敵な旅立ちになるだろうと確信しました。 感覚に涙していたのは、私だけではなかったと思います。それ以来、気持ちを「音楽」に乗せることに魅了されながら、毎年3月になると、新生活に向けて心の準備を行っています。
メッセージをご覧の皆さまも、沢山の思いを抱えて新しい生活へと旅立たれるとは思いますが、ふとした瞬間に聞こえてくる「音楽」に少し耳を澄ましてみてください。 きっと素敵な旅立ちを後押ししてくれることでしょう。
年度末が近づき、学校や会社など慌ただしさを帯び始める今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。この時期の雰囲気は、年の瀬の雰囲気とどこか似ているのですが、やはり微妙に違うものを感じます。
両者には共通して“終わり”と“始まり”という雰囲気があるように思うのですが、年度末の雰囲気には、これに“変化”という雰囲気が加わるように思います。 進級や進学、または職場の異動や仕事の変化などがある時期だからかもしれません。かくいう私自身にも仕事上の“変化”がありました。今回のメッセージでは、そんな“変化”に際して、私が感じたことや思ったことなどをお伝えしたいと思います。
出会いがあれば別れがあるように、始まりがあれば終わりもある。そんな言葉を聞いたことがあります。私の“変化”は仕事上の変化なのですが、もう少しお話しますと、職場が変わるということがありました。そこには、これまで共に働いてきたスタッフとの別れもありました。“変化”は自分が望んだことでもありますし、これまでの自分の努力が形になったということでもあるので、うれしい気持ちもあるのですが、反面、何か淋しいような、後ろ髪を引かれるような思いもあります。むしろ、前者よりも後者の思いのほうが強いように感じます。この気持ちはいったい何だろう?と自分のこころながら、不思議な感じです。もっとうれしい気持ちを感じ、喜んでいいはずなのに、どこか喜び切れない。そう、私の中には切れない思いあるのだと思います。これは何だろうと考えながらこのメッセージを書いていると、この切れない思いにぴったりの言葉が浮かんできました。それは、名残惜しいという言葉です。これまた不思議なのですが、自分の気持ちにぴったり合う言葉が見つかると、どこか少し気持ちが晴れやかになった気がします。自分のモヤモヤした気持ちが分かったからかもしれません。
私は自分の気持ちが分かったので、切れない思いを無理やり割り切るのではなく、十分に名残りを惜しもうと思います。幸いにもまだ職場が完全に変わるまで時間はあります。それまで、偶然にも出会い、そしてお世話になったスタッフや上司、また職場への感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。
別れは淋しく、そして、名残惜しいものではありますが、以前、恩師から「出会った関係に別れはない」という言葉を伝えていただいたことが思い出されます。別れを十分惜しんだ後は、次の良き出会いを楽しみにしたいと思います。
皆さまにも、良き出会いがありますように。
両者には共通して“終わり”と“始まり”という雰囲気があるように思うのですが、年度末の雰囲気には、これに“変化”という雰囲気が加わるように思います。 進級や進学、または職場の異動や仕事の変化などがある時期だからかもしれません。かくいう私自身にも仕事上の“変化”がありました。今回のメッセージでは、そんな“変化”に際して、私が感じたことや思ったことなどをお伝えしたいと思います。
出会いがあれば別れがあるように、始まりがあれば終わりもある。そんな言葉を聞いたことがあります。私の“変化”は仕事上の変化なのですが、もう少しお話しますと、職場が変わるということがありました。そこには、これまで共に働いてきたスタッフとの別れもありました。“変化”は自分が望んだことでもありますし、これまでの自分の努力が形になったということでもあるので、うれしい気持ちもあるのですが、反面、何か淋しいような、後ろ髪を引かれるような思いもあります。むしろ、前者よりも後者の思いのほうが強いように感じます。この気持ちはいったい何だろう?と自分のこころながら、不思議な感じです。もっとうれしい気持ちを感じ、喜んでいいはずなのに、どこか喜び切れない。そう、私の中には切れない思いあるのだと思います。これは何だろうと考えながらこのメッセージを書いていると、この切れない思いにぴったりの言葉が浮かんできました。それは、名残惜しいという言葉です。これまた不思議なのですが、自分の気持ちにぴったり合う言葉が見つかると、どこか少し気持ちが晴れやかになった気がします。自分のモヤモヤした気持ちが分かったからかもしれません。
私は自分の気持ちが分かったので、切れない思いを無理やり割り切るのではなく、十分に名残りを惜しもうと思います。幸いにもまだ職場が完全に変わるまで時間はあります。それまで、偶然にも出会い、そしてお世話になったスタッフや上司、また職場への感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。
別れは淋しく、そして、名残惜しいものではありますが、以前、恩師から「出会った関係に別れはない」という言葉を伝えていただいたことが思い出されます。別れを十分惜しんだ後は、次の良き出会いを楽しみにしたいと思います。
皆さまにも、良き出会いがありますように。
新年、明けましておめでとうございます。
21世紀も早10年を迎えましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年の冬は比較的暖かだといいますが、朝などは空気がキンと冷たくて、まだまだ布団にこもっていたい、などと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
1年の始まりにメッセージを届けさせていただきます、藤田美穂と申します。
実習生として、隔週土曜に勤務しています。
最近、レイモンド・カーヴァーという作家の「ささやかだけれど、役に立つこと」という小説を読んでいます。
なんだかとても素敵な題で、思わず自分にとって「ささやかだけれど、役に立つこと」って何だろうと心に聞いてみたとき、思ったよりもたくさんあったことに驚いたので、今回のメッセージではその中の少しばかり、私の発見を綴らせていただこうかと思います。
「ささやかだけれど、役に立つこと」。
それは私にとって、たとえば秋口から冬にかけてなお一層澄みきった空気の中、照り輝く草木の光があります。
晴れた日の天は高く、日の光は穏やかに照らし、体を温めてくれます。
春を待つ川辺の桜並木です。桜のピンク色は、花びらだけでなく、樹液や皮にまで染み渡っている、とどこかで聞いたことがあります。
猫好きの私にとっては、私の通う学校近くやオフィスの周辺で、気ままにうろつく猫たちを目にするだけでも暖かな気持ちになります。
ときに、気のいい猫が体に触れさせてくれることもあり、暖かな毛触りにとても癒されます。
また、毎朝家を出るときに挨拶してくれる、清掃作業員の年配の女性の声です。
「いってらっしゃい!」「今日は寒いね~」
何気ない一言に、毎日を支えられているように思います。
そして、音楽です。
もともとそれほど歌を聴くほうではないので、CDをかけて聴くよりは、頭の中で曲を流してみたり、鼻歌を歌ってみたりしています。
とても手軽に聴けるのだけど、メロディを口ずさむと心が弾んだり、リズムが心を落ちつけてくれることがあります。
まだまだたくさんあるのだけれど、書ききれないので、とてもささやかだけれど大切に思うことをいくつか紹介させていただきました。
このメッセージを読んで下さっている方にも、みなさんの中で「ささやかだけれど、役に立つこと」だと思うことに、ちょっとばかり思いを巡らせていただければと思います。
どんなことが思い浮かんだのか、私もみなさんの発見を聞きたく思っています。
この「ささやかだけれど、役に立つこと」が、今年もみなさんを支え続けていくことを、心より願っています。
21世紀も早10年を迎えましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年の冬は比較的暖かだといいますが、朝などは空気がキンと冷たくて、まだまだ布団にこもっていたい、などと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
1年の始まりにメッセージを届けさせていただきます、藤田美穂と申します。
実習生として、隔週土曜に勤務しています。
最近、レイモンド・カーヴァーという作家の「ささやかだけれど、役に立つこと」という小説を読んでいます。
なんだかとても素敵な題で、思わず自分にとって「ささやかだけれど、役に立つこと」って何だろうと心に聞いてみたとき、思ったよりもたくさんあったことに驚いたので、今回のメッセージではその中の少しばかり、私の発見を綴らせていただこうかと思います。
「ささやかだけれど、役に立つこと」。
それは私にとって、たとえば秋口から冬にかけてなお一層澄みきった空気の中、照り輝く草木の光があります。
晴れた日の天は高く、日の光は穏やかに照らし、体を温めてくれます。
猫好きの私にとっては、私の通う学校近くやオフィスの周辺で、気ままにうろつく猫たちを目にするだけでも暖かな気持ちになります。
ときに、気のいい猫が体に触れさせてくれることもあり、暖かな毛触りにとても癒されます。
また、毎朝家を出るときに挨拶してくれる、清掃作業員の年配の女性の声です。
「いってらっしゃい!」「今日は寒いね~」
何気ない一言に、毎日を支えられているように思います。
そして、音楽です。
もともとそれほど歌を聴くほうではないので、CDをかけて聴くよりは、頭の中で曲を流してみたり、鼻歌を歌ってみたりしています。
とても手軽に聴けるのだけど、メロディを口ずさむと心が弾んだり、リズムが心を落ちつけてくれることがあります。
まだまだたくさんあるのだけれど、書ききれないので、とてもささやかだけれど大切に思うことをいくつか紹介させていただきました。
どんなことが思い浮かんだのか、私もみなさんの発見を聞きたく思っています。
この「ささやかだけれど、役に立つこと」が、今年もみなさんを支え続けていくことを、心より願っています。